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2007年11月20日 (火曜日)

H.N.リドレーとパラ・ラバ・ツリーその8

今日の写真もhalさんから送っていただいた写真を使っています。
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 リドレーさんとパラゴム(パラ・ラバ・ツリー)のお話その8です。この前から、まただいぶ時間が開いてしまいました。実は、我が家は中3の受験生を抱え、来春は日本へ本帰国しようと引越しの算段もしなければならず、で、先週は「ど~やって、整理しよう・・・・。」と頭を抱えていたのでした。
 我が家は、引越しは、日本国内、シンガポール島内を加えてこれで6回目。3年に一回は引越しをしている勘定になりますが、いっこうに片付け上手、引越し上手にならないのが不思議~です。
 先週は、息子の受験のため早めに日本の家を住めるようにしておかなければならないので、航空便の1便を出しました。その時いらした運送会社の方と今後の相談をいろいろしました。
 海外引越しをしたことのある人は知っていると思いますが、だいたい、航空1便、2便、船便1便、2便と言うように、荷物を1、2ヶ月時間をずらして分けて出します。引っ越してすぐ必要なものは、1便または航空便で出す、が基本。船便など、フランスから日本だと到着までに2ヶ月は見なければならない為ですが、生活をしながらだと面倒と言えば面倒。でも、この計画が甘いと大変~!ということは、シンガポールからフランスに引越した時に知りました・・・。
 日本とシンガポールは近い為、1ヶ月半くらいで荷物が着いてしまうのです。この差っていうのが、生活していると案外大きいもので、しっかり計画していないと後が大変。思えば、日本からシンガポールに来た時も結構大変だったのに、シンガポールからフランスに来るときはそれもすっかり忘れていた私・・・。
 シンガポールから日本へ帰る方は、物を大胆に処分して帰る方が多いためか、荷物が割合と少ないそうなのですが、我が家はシンガポールからフランスだったため、何でも持っていったのです。
 というのは、馴れない外国で生活に必要な細かいものを買うのは大変なのと(日本なら、100円ショップで安く買えたりして便利ですが、馴れない外国ではちょっとしたものを買うのも最初はどこに売っているのか見つけるのが大変!)、子供の本や学用品などは全部持って行ったため、
荷物が多かったこと!
 荷物が多いと何が大変かというと、荷造りが終わらないわけです。予定の時間が過ぎても荷出しが完了せず、

 「私って、片付けが下手・・・?」と落ち込んだのですが、フランスに来て、ヨーロッパの国から国へ移動した方たちの話を聞いて「その荷物の量は普通よ!」と言われて、ほっとしたのでした。
 でも、皆さん一様に「フランスから日本への引越しは大変よ~!」とおっしゃるので、今からせっせと整理(要するに不要なものは処分することです)しようと心がけています・・・。
 思い出はモノではなく、ココロの中に・・・、モノを持ちすぎない生活をしなければ、転勤族はやってられないのね・・・・

054p
 

と、前置きが大分長くなってしまいましたが、本題リドレーさんです。
 リドレーが、パラゴム(パラ・ラバ・ツリー)農場育成に熱心だった時代背景は、前の記事で書きました。
 リドレーがパラゴムに熱心だったのは、その時代の必然的なことだったのでしょう。彼は、マレーの農場主にパラゴムの種子を配り、熱心に農場経営を勧めたのですが、当時、コーヒーやスパイスが主流であったマレーの農場主からはなかなか相手にされず、「マッド・リドレー」「ラバー・リドレー」と呼ばれたという逸話が残っています。
 リドレーが勧めたパラゴム農場は、マレーで大成功を収めるのですが、人々が農場経営に乗り出すまでは時間がかかったようです。
 リドレー自身が、彼の自叙伝でその様子を書いています。
『ある時、私はペラクのタパの近くの休暇用の家の周りに、とても大きく育ったラバー・ツリーを何本か発見した。その木の所有者のマレー人が言うには、このうちの一本から、66ポンドのラバーが採れるということだった。
 この家は、以前は自治区の役人の家で、私はその役人にパラ・ラバの種を植えてくれとせがんだのだ。私は彼のポケットいっぱいにパラ・ラバの種を詰め込んだのだった。』

『ラバー景気が始まった後のある日のこと、私の家からちょっとの間セイロンへの旅に出ていた者が帰って来て、セイロンである茶農園主に会ったと私に話した。
 その茶農場主は-彼は名前は忘れてしまったそうだが-彼に言ったそうだ。
「おや、あんたはシンガポールにいたことがあるそうだね。あんたはマッド・リドレーと呼ばれている男を知ってるかい?」彼は知っていると答えた。
「ふ~む、何年か前だがね、彼は私に沢山のラバーの種を送ってきた。そしてそれを植えてくれと頼んできたのさ。私はそのリドレーさんから何かもらえるかと思って、彼を喜ばせるために蒔いてみたのさ。そうしたら、そら、みんな育って・・・。」』
 この茶農場主は、「マッド・リドレー」が送ったパラ・ラバの種を植えたお陰で、パラゴム農場主として成功し、金持ちになったということです。

次回は、リドレーさんが行ったパラ・ラバ・ツリーの研究のお話ですが、TOMさんがタッピングの様子をブログで分かりやすく説明しているのでこちらを見てくださいね。  

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