旅行・地域

2008年11月18日 (火曜日)

秋色プロヴァン-中世の商業都市・続きの続き

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しつこく「秋色プロヴァン」です。
こちらは、プロヴァンの街角の窓。壁に這わせてある葡萄の葉が秋色に色づいて、実の方も食べ頃?
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 この家を離れて見るとこんな感じです。
パリやブローニュも、中世の街並みも、建物が道路から隙間なくぴったりと建っていますね。(私は、専門家ではありませんので、あくまで私が見た感じです。)

 道路から家との間も隙間がないか、あったとしてもわずかなのですが、そのわずかな隙間に植物を植えているのをよく見かけます。
 バラや葡萄はよく見られますね。秋になると、葉が色付いて綺麗ですね。実も食べられるので一石二鳥?

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 こちらは、レストランの入り口。奥に緑の庭が見えます。
 石造りの道路と建物がびっしりと密接に建っている街並みは美しいのですが、ところどころこういった庭が見えるところに出くわすとほっとします。
 思わず入ってみたくなりますね。

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 古い家の庭。この家は博物館になっていて、内部が見られます。そこの窓から撮った風景です。
 庭には、使われなくなった古い井戸があり、石のベンチが置いてあります。
ここに座り、何を語らったのでしょうか。

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 なんで階段の写真?
私は、木組みの家(colombage)の内側がどうなっているのか、常日頃見てみたかったんです。
 木組みの家の内側も、外側と同じようになってるのね、って当たり前か・・・。

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 こちらが、木組みの家(colombage)の外観です。木組みと漆喰がもっと美しいパターンの家も沢山ありますが、プロヴァンではなかなか良い写真が取れなかったです。

 木組みの家は、英語ではハーフ・ティンバーですね。イギリスのチューダー様式の家がまず思い浮かぶでしょう。
 パリやその周辺は石造りの建物ばかりで、木組みの家や建物は見かけません。
 でもパリを少し離れると、周りの森の木を使った木組みの家の村にお目にかかったりします。
 また、イギリスに近いブルターニュ地方や、ドイツに近い地方でも見ることが出来ます。(他でも見られるかもしれませんが、私は専門家ではないのであしからず。)
 パリで、この様式が見られないのは何故なんだろう。


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 この木組みと漆喰の家が、ハーフ・ティンバーと呼ばれるわけは、ひとつは建物の下部がレンガまたは石造りで、上部に木組みを使っていること、もうひとつは木組みの間に漆喰を使って、木組みと漆喰の半分半分の構造になっていることからくるそうです。

 フランスでは地方により、漆喰部分をカラフルな色で塗ってあるところもあるそうです。

 この様式は、ヨーロッパだけでなくイギリスの植民地だった地方でも見られますね。

 シンガポールでも、この様式の美しい家を見ました。こちらは、木組みの黒と漆喰の白の対比が美しいことから、ブラック・アンド・ホワイトと呼ばれています。
 その他の国でも木組みの家は見ることが出来ると思いますが、私があと実際に見たのはスイスですね。
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 こちらは、レストランになっていますね。

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 こんな家に住むのにあこがれているんですけど・・・。


 

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2008年11月15日 (土曜日)

秋色プロヴァン-中世の商業都市・続き

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 只今、息子達に料理の特訓しています。2人一緒に協力してやるか、それとも1日交代で当番制にした方がいいか聞いたら、当番制のほうがいいのだそうだ。
 どのくらいやってくれるか実際やらせてみたら、結構喜々としてやるんですな、これが。後片付けももちろんやらせています。
 
 写真は、街並みとセザール塔です。
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 セザール塔の上に登る階段。
中世の人々はこの石の階段を登っていったのね。

 

 

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 三角柱に見える塔のてっぺんは、こんな風に木組みで支えられているんですね。巧みに材木を組み合わせてあって、なかなか美しいなあ・・・と思うのは私だけ、かな?

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 塔の上のテラスみたいになっているところです。長い年月の間に草が生えています。

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 塔の物見の窓から見た、風景。P1090990p  
 塔の全体のミニチュアです。一番下の部屋は半地下になっていて、食料や武器を貯蔵していたそうです。

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 プロヴァンは、ジャンヌ・ダルク縁の地でもあります。

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こちらも秋色。
 

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2008年11月12日 (水曜日)

秋色プロヴァン-中世の商業都市

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(写真と情報は一年前のものです。あしからず。)
 ブログを書くのがすっかり間を置いてしましました。
夏休みはまあ、子供2人がいるので忙しかったということもありますが(PCも子供に占領されていたし)、9月入ってから急病で入院してました。(トホホ・・・)
今は、自宅療養中ですがまたすぐ入院して闘病生活を送ります。ブログもその合間を縫ってと言うことになりますね。
 入院中に見舞いに来てくださった方、買い物などをお願いした方、ご心配下さった方ありがとうございました。わけても、一番辛いときに来ていただいたTOMさん本当にありがとう。
 くじけずに完治をめざして闘病生活を頑張って送ります。


 私と同じ病気(大きなくくりでの病名では同じということです。詳しくは書けませんがこれもあしからず。)の方は案外多いらしいのですが、ある方に、

「病気をしていろいろな経験をした。病気で入院すると、今まで考えもしなかったことを考えた。いろいろな意味で人生の勉強をしていると思っているけれど、しなくてもよかった勉強をしているような気もする。」と言われて・・・。それもそうだなあ・・・って、思ってしまった。
 人生いろいろですけどね。
 私は、入院治療中「もし、大地震がきたらどうしよう・・・。治療が中断してしまう・・・。」とか、仕様もないことを考えておりました。

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 こちらは、入院中友人達に頂いた花です。生花は、雑菌を持ち込むことになるので、私の入院している病棟では病室に持ち込むことが出来ません。ちゃんと伝えてなくてごめんね。お花をありがとうございました。

 談話スペースに置かせていただいたのですが、このまま枯らすのももったいなくてスケッチをしておきました。

 
 さて、何故今頃一年前のフランスの写真を使ってわざわざブログを書いているかと言うと、「秋色プロヴァン」と言う題名を使いたかっただけという・・・。単純な理由です。
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 プロヴァンは、パリから車で一時間ほどの中世がそのまま残っている街です。
 商業都市として12世紀から13世紀にかけて最も栄えました。その栄えぶりは、フランス王をもうらやましがらせたとか。

 観光案内のパンフレットによると、フランドル地方の毛織物業者、ロンバルディア地方の金融業者、東方のスパイス商人、クレチアン・ド・トロワのような詩人や知識人が交流していた、ということです。
 
ヨーロッパ有数の金融都市として栄えたプロヴァンもしかし、14世紀前半になると衰退していきました。商業用道路の道程の変更、市場が徐々に消えていったこと、数々の戦争や伝染病、ブリ地方とシャンパーニュ伯爵領がフランス王国に併合されたことが衰退の原因だということです。

 その後、長く田舎の孤立した街として歴史に取り残されたようになっていました。現在私達はプロヴァンに中世の商業都市をそのまま見ることができますが、それは、半ば忘れられて取り残されていたために、中世の街並みがそのまま残されていたからだそうです。
 プロヴァンは、「世界遺産」にも登録されています。
(以上は、プロヴァンの日本語のパンフレットに載っていました。プロヴァンは日本人観光客も多いらしく、日本語のパンフレットも置いてありました。)
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 プロヴァンの街に入る門です。プロヴァンは周りをぐるりと城壁に囲まれた城塞都市です。

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 こんな風になかなかものものしい城壁に囲まれています。
 プロヴァンが栄えた頃、領主は領地に護衛隊を配置し、商人の安全を確保したそうです。

 プロヴァンは、パリから車で来ると延々と続く麦畑の向こうに塔や聖堂がぽっかりと見えます。
 おそらく中世の昔もそんな風に見えたことでしょう。
 旅行く商人達や人々は、プロヴァンの塔や聖堂を遠くから見つけて、どんなにか安堵したことでしょう。

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 街の広場からセザール塔が見えます。

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 こちらは、間近に見たセザール塔です。

P1090996p_2 セザール塔から見た周辺の様子です。物見の塔でもあるので遠くまで見通せます。

 すっかり秋色。

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 眼下に葡萄畑が見えます。

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 小さいですが、ベンチにお年寄りが座って談笑しています。大きくして見てね。

 プロヴァンは観光都市ですが、この中世の街に人が住んで生活しています。考えて見れば当たり前のことなのですが、街を歩いていて小学校の校舎を見た時は、意外な感じと感動を憶えたものです。
 
 過去と現在が自然に混ざり合っているって、こんな感じなのかな・・・。

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 中世らしい屋根瓦がみえます。

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セザール塔から見た、サン・キリアス参事会管理聖堂。

では、続きはまた今度。

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2008年5月19日 (月曜日)

ワイン博物館-Musee du Vin

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ワイン博物館-Musee du vin
メトロ6番線パッシー駅から徒歩5分

(写真は3月に撮ったものです。)
 フランスに来てから、ビール党からワインファンに変わった夫。「日本に帰る前に是非ワイン博物館に行きたい!」とのことで、息子2人は家に置いてワイン博物館へ行ってきました。
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 ここはパリ16区パッシーの高級住宅街。ワイン博物館は、建ち並ぶアパルトマンの谷間のようなところに、さりげなく存在しています。

 この辺りは、アパルトマンがそびえるように建ち並んでいて、ともすれば無機質な感じになりがち。しかし、無機質さを感じさせないのは、植物の配し方のせいでしょうか。この頃は、3月の初めなので、花が豊富に咲いているわけではないし、緑もそれほど萌え出ているわけではないけれど、植物の置き方にリズムがあってなんともおしゃれでしょう?P1110498p
 ちょっと画面が暗いけれど、向こう側にセーヌ河が見えます。
 この辺りは、セーヌ河に向かって斜面になっていて、石灰石の採掘場があった場所だそうです。また、その石灰石は、ワインを貯蔵する貯蔵庫に最適なのだそう。P1110513p
 ワイン博物館は、もともとここに建っていた修道院のワイン貯蔵庫と食料品貯蔵庫を使って造られています。

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 内部はこのようになっていて、古代ローマから始まるワイン造りから現代までのワインの歴史が展示してあります。

 今でこそ、ボルドーでもブルゴーニュでも世界中のワインが飲めるパリでも、輸送手段がそんなに発達していなかった、つい19世紀の初めごろまでは、パリで飲まれるワインは、パリ近郊のブドウ畑で実ったワインでパリで造られていたとのこと。(詳しくはこちら「パリ近郊の住宅街のブドウ畑」を読んでね。)

 ブドウ畑は、パリ近郊のセーヌ河沿いの土地の他、モンマルトルにもあったそうです。(モンマルトルには今でもフドウ畑を残してあって、毎年ワインを造るそうです。)
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 博物館はそんな時代の名残なんですね。(ただし、今でもパリ産のワインを造る運動はしているようです。)

 こちらは、昔のワインの瓶の展示。

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 こちらは、蒸留酒を造る時に使ったものです。周りの壁にのアルコールの匂いが染み付いていました。

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 さて、このワイン博物館の入館料は大人2人で17ユーロでした。なんだかちょっと高くない?と思っていたら、最後にグラスワインのお楽しみがありました。

 ここは、修道院の食料貯蔵庫だったところだそうです。今は改修して、レストランにもなっています。

 また、奥の階段を上がると、会議などに使えるコンベンションルームになっています。
 もと食料貯蔵庫の窓のない、コンベンションルームでの会議・・・。さぞかし、集中することでしょうね。

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2008年4月20日 (日曜日)

ポンド高!何でも10ポンド(涙)のロンドン旅行-3日目-キューガーデンズに行く4

~歴史をふりかえりながら早春のキュー・ガーデンズを歩こう~
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 しつこくロンドン旅行3日目、キュー・ガーデンズの4回目です。入園料大人一人12.5ポンドするだけあって、1日歩いても見所いっぱい。何回でも行きたくなってしまう、キュー・ガーデンズです。
 フランスは、どうしても平面幾何学式庭園が多いので、冒頭の写真のような感じの風景にちょっと飢えてしまう時があります。ヴェルサイユ宮殿(こちらを見てね)の庭園のようなフランスの平面幾何学式庭園も素晴らしいのだけれど、どうもこういう自然な感じの庭にあこがれてしまう。
 こういう感じの庭って、子供の頃絵本などで見たヨーロッパのお庭のイメージそのものなんだよね。
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 こちらは、ロイヤル・キュー(Royal Kew)と呼ばれている、キュー・ガーデンズの敷地内で一番古い建物です。
 1631年、富豪商人サミュエル・フォートレイ(Samuel Fortrey)によって建てられた、オランダ式住宅(Dutch House)ですが、その後、1728年にロイヤル・ファミリーに借り受けられ、ジョージ二世の3人の娘が住んだ時から、数々のロイヤル・ファミリーの歴史がここで繰り広げられることになったのでした。
 
 ここロイヤル・キューで、ジョージ三世は成長し1802年まで暮らし、またジョージ4世が生まれたのもここだそうです。
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 さて、キュー・ガーデンズの誕生は1718年、ロイヤル・キューの向かい側に建てられたキュー・パレス(Kew Palace)に始まります。キュー・パレスは、1736年ジョージ二世の息子、フレデリック王太子がオーガスタ妃との結婚の時、王太子に引き継がれました。
 造園に熱中したフレデリック王太子とオーガスタ妃は、植物愛好家でもあったビュート伯ジョン・スチュアート(Earl of Bute:ジョージ三世の新任が厚く、1762年に首相になりました。)のアドバイスを受け、新しい植物を手に入れ、庭園の景観を整えました。
 このビュート伯は、フレデリック王太子の息子(後のジョージ三世)にも助言を与え、キュー・ガーデンズの景観を造り上げたそうです。
P1110727p このパゴダは、キュー・ガーデンズに25個あるうちの1つ。オーガスタ妃が彼女の公式建築家、ウィリアム・チェンバーズ卿(Sir William Chambers:1723~21796)にデザインさせ、造らせたものです。
 
 このころ、ヨーロッパでは中国風のものを取り入れることが流行っていましたが、庭園にも中国風のパゴダを取り入れた景観を造ることが流行ったのでした。

 ウィリアム・チェンバーズ卿は、スコットランド人の両親のもとに生まれ、成長するとスウェーデンの東インド会社の社員として中国に駐在しました。
 彼は、ここで中国の建築に目覚め、26歳の時ローマに渡り、建築学と古典建築を学びました。そして、1756年にオーガスタ妃の公式建築家、また彼女の息子(後のジョージ三世)の建築学指導者となったのでした。
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 ジョージ三世は、フレデリィク王太子、オーガスタ妃の遺志を継いで、植物を収集し、庭園の整備をした人ですが、キュー・ガーデンズのこのような「自然」なスタイルが出来たのは、彼の時代のことです。
 1764年、主席庭師キャパビリティー・ブラウン(Capability Brown)は、それまであった建造物を別の場所に移し 、彼の目指している「自然な景観」を造ることに着手しました。
 当時は、そのような「自然な景観」は人々に理解されませんでしたが、20年後、木々が生長し美しく整った庭園は、それまでになかった「自然」な庭園として認めれらるようになったのでした。
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 また、プラント・ハンター達が世界の海に乗り出し、珍しい熱帯植物を収集し始めたのもジョージ三世の時代です。
 
 1778年に王立協会の総長に就任し、その後41年間このポストにあったジョゼフ・バンクス卿(Sir Joseph Banks)は、もともと裕福な企業家でしたが、自然史愛好家でもありました。
 彼は自分自身でも何度も植物の収集の探検に出かけましたが、王立協会の総長に就任後は、キュー・ガーデンズのために尽くしました。彼の指導なくしては、国際的にも認められた現在のキュー・ガーデンズのありようはなかったのではないかと言われています。
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 バンクス卿は、世界中から植物を収集し、新しい植物はまずキュー・ガーデンズに運ばれるようにしました。
 彼はまた、イギリスから世界中に散って行く外交官、陸軍海軍の士官、商人、宣教師達に、赴任先や旅の途中で珍しい植物を見かけたら、キュー・ガーデンズを思い出すように依頼したのでした。

 このようにして、プラント・ハンターたちの数々の逸話が生まれたのでした。P1110795p

 その、プラント・ハンター達の業績の一部を、懐かしのシンガポール植物園で見てきたのだな・・・と、思いながら早春のキュー・ガーデンズを歩いたのでした。
 この後は、春の花々や木々を楽しんでくださいね。

 こちらは、ローズマリーです。

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 ミモザも花盛り。

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 これはちょっとわからないです。何の花かな。

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 松の球花。

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グローリー・オブ・ザ・スノウ(Glory of the Snow)。P1110808p
 ヘリテージ・ツリーも園内に13本あります。これは、その1本。

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 さて、こんな風にして我が家は、ロンドン旅行を終えたのでした。

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2008年4月18日 (金曜日)

ポンド高!何でも10ポンド(涙)のロンドン旅行-3日目-キューガーデンズに行く3

~ダイアナ妃の温室-The Princess of Wales Conservatory~
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この2,3日インターネットの接続が何故か不調。せっかく書いたブログの記事が消えてしまったり・・・。
 でも、ブログを書くのが開いてしまったのは、実は漫画「諸葛孔明 時の地平線」(諏訪 緑著)1~14巻をTOMさんから借りてしまって読んでいたため。(TOMさん、ありがとう)
 フランスに住んでいた時は、日本の本や漫画はとにかく高い!ので、なるべく買わないようにしていたので、これを借りてしまったらとにかくはまってしまいました。
 コミックスがど~んと読める幸せ、「これ面白いよね!」って話せる人がいる幸せ・・・。

 我が家の中学生は、日本のテレビにはまっています。とほほ・・・。高校生の方は、やはり漫画。それから、本を読みまくっています。「勉強しろ」と言いたいのを3分の2ほど我慢。
 違う環境、文化に馴れて行くって大変なことだから、それを今取り入れているのよね~、とひたすらものわかりが良い親になろうとするけれど、なかなか出来ないのよね・・・。やっぱり、「宿題はど~した。勉強しろ。」と言いたい・・・。


 
冒頭の写真は、キュー・ガーデンズの一番近代的な温室 The Princess of Wales Conservatoryで撮ったヘリコニアです。
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 この温室、外観もとっても近代的。
1987年6月28日に、故ダイアナ妃よってオープンされた温室で、キュー・ガーデンの基(1736年)を造ったフレデリック王太子の妃オーガスタを記念して造った温室だそうです。
 
 様々な熱帯地方の気候をコンピューターで制御して再現しているので、いろいろなタイプの植物や動物がここで見られます。

 砂漠の気候から、熱帯雨林のマングロープ・スワンプ、雲霧林の蘭のコーナーまであるので、熱帯雨林大好き二男は大喜びでした。
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 ヘリコニアやウツボカズラを見ては、懐かしがって興奮している二男を見て、
「この子にとって、懐かしい植物って、こういう熱帯雨林の植物だったんだ・・・。」と、改めて思いました。
 成長期のある時期を海外で過ごすのって、影響が大きいのだな・・・と、実感。
 
 余談だけれど、私がシンガポールに暮らし始めた頃は、街路樹やコンド、そこらへんの土地にごちゃごちゃ生えている植物に目が(・ ・;)になったのでした。
 何しろ、見たこともなかった花、大きな葉っぱ、脳みそが理解できなくなって(いったい何を理解しようとしていたのかは、わからないけど)植物酔いの様な状態になったことがあります。それが、数年で懐かしい植物となるのだから不思議。
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 ウツボカズラのお花です。

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 こちらは、Ficus villosa。ボルネオ、サバ州から来たそうです。
 イチジク属のこういう実を見るのは久しぶり~!
 でも、イチジク属の実や、ウツボカズラのお花を見て、本当にその植物に合ったいい環境を作って いる温室なんだな~と思いました。
 パリにも、オートュイユ温室という立派な温室があって、気候別の小さな温室も造ってあります。イチジク属だけの温室もあって立派だったけれど、盆栽みたいなイチジクで、実を成らすのはちょっと無理みたいでした。
 立派に育ったイチジク属を見て感激!(するのは、私だけか・・・)
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 こちら、マングロープ・スワンプです。懐かしの支柱根。P1110837p
 ヒルギの花。P1110843p
 内部はこんな感じ。

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 スタグス・ホーン・ファーンだと思う。でも、こんな風に壁に付けちゃうわけ?
 スタグス・ホーン・ファーンとか、バーズネスト・ファーンは、パリや周辺の園芸ショップで良く見かけました。室内用の観葉植物として売られているのを見て、ちょっとびっくりしたものでした。

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 ここから、ずっと蘭のコーナーです。P1110848p P1110850p

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 こちら、スマトラオオコンニャク。
こんなところで、お目にかかるとは・・・。P1110854p_2
 ここで、スマトラオオコンニャクの花が咲いたそうです。
 Kid’S kewには、「世界一大きな花で、ひどい匂いがするよ。君も夏には、スマトラオオコンニャクの花が見れるかも知れないよ。」と書かれています。
 インドネシア、スマトラの熱帯雨林からはるばる来た、スマトラオオコンニャクです。

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 植物ばかりではありません。

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 こちらは、乾燥地帯のコーナー。P1110824p
 入園料大人一人、12.5ポンドは高いけれど、見所はいっぱいでした。

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2008年4月11日 (金曜日)

ポンド高!何でも10ポンド(涙)のロンドン旅行-3日目-キューガーデンズに行く2

~キュー・ガーデンズの温室で熱帯の植物に再会!~
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今週から我が家の息子達は、それぞれ元気に高校と中学に通っています。二男は、幼稚園時代からの友達と毎日話が出来てご機嫌。塾とか中学の勉強とか、どうしよう・・・と親はあれこれ思っているのですが、本人はその心配は感知せず、二男は友達と学校から歩いて帰ったり、遊ぶ約束をしたり、フランスでは出来なかったことをして満足の様子。彼にとって、コンビニで買い物をすることも新鮮で楽しいらしいです。(なにしろ、全部日本語だ・・・。)

 思春期の悩みで大変だった長男は、昨日帰って来るなり、「ものすごく、話が合う奴がいた!」と喜んでいる。
 聞くと、クラスに長男の好きなSFアニメ「○殻機動隊」や「プラ○テス」などが好きな子がいて嬉しかったらしい。それは良かったね。
 
でも、今までぐちゃぐちゃと悩んでいたのって、もしかして「○殻機動隊」とか「プラ○テス」の話ができなかったから・・・?
 ヨーロッパの生活が長い子は、日本のアニメ情報や流行物からはちょっと遠ざかっていることもあるだろうから、話が通じにくいこともあったんだろうけど・・・。まあ、それだけではなかったんだろうけれど、思春期の男の子のお悩みのパワーに巻き込まれて、しんどい思いをした親としては、複雑・・・。


 冒頭の写真は、ツリー・ファーンを上から見たものです。まるでお花のようでしょう?ここは、キュー・ガーデンズの大きな3つの温室の1つ、The Temperate Houseの中のAustralian Forest and Tree-ferns(オーストラリアの森とツリー・ファーン)の展示部分です。温室内に上から植物を見下ろせる場所があるのですが、シンガポールでもツリー・ファーンをなかなかこういうアングルで見れなかったので、嬉しかったです。
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 これが外側から見たThe Temperate House.キュー・ガーデンズで最も大きな温室です。ちなみに昨日の記事のThe Palm Houseは、1844年から1848年にかけて建てられた、ヴィクトリアン・グラスと鉄筋構造のキュー・ガーデンズで一番古い温室です。
 このほかに、大きな温室は近代的な造りのThe Princess of WalesConservatory(これはこの次の記事にます。)があり、他にオオオニバスのある小さなThe Waterlily House(これは閉まっていて見られなかったです。)、Davis Alpine Houseなどなどがあります。
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 The Palm Houseは、椰子が中心だったけれど、こちらのThe Temperate Houseは地域別に部屋が分かれていて、地域別の植物が見られます。

 この写真が温室の正面です。
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 内部は、こんな感じ。The Palm Houseより、湿度が少なくて、快適な散歩が楽しめます。
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 こちらがオーストラリアの森とツリー・ファーンの説明版。
 ツリー・ファーンは大きく分けて、Rough tree-fern(Cyathea)とSoft tree-fern(Dicksonia)の2種類あるんだそうで・・・。私がシンガポールやマレーシアで見ていたのは、Cyatheaの方?

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 うっそうとした、ツリー・ファーンの林のよう・・・。
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 これは、ツリー・ファーンの中心部を撮ったもの。ツリー・ファーンは丈が結構高いので、自然の中では、こんなふうに真ん中を接写できないのですが、ここで撮れてラッキー。

 私は、シダのこのくるくるしたところが大好き。
 マレーシアに旅行に行った時、このくるくるが成長する前のところを切り取って売っていました。「ゴールデンチキン(鶏のように見えます)」と呼ばれていて、薬にするんだそうです。


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 もうひとつおまけに、上から見たところ。
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 Chilean Wine Palm。温室の天井に着いてしまうぐらい、丈高く育っています。もともと高くなる椰子らしいですが。
 この椰子の樹液は、醗酵させてパーム・ワインを作るそうです。実は、食用オイルになるんだとか。
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 こちらが、ワイン・パームの説明です。
このワイン・パームは1846年に種から育てられたそうです。温室で育った椰子では、世界一丈が高い椰子だということになっているそうです。P1110744p
 エリカのエリアもありました。
エリカは、ムアにだけ咲くのではありません。南アフリカのケープにも、なんと735種類のエリカを見ることが出来ます、とのこと。

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 でも、私にとってエリカと言えば、バーネットの「秘密の花園」の舞台となった、ヨークシャーのムアに咲く、ヒース、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」のヒースクリフなのでした。
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 Japanese Bananaっていうのがあったのね。観賞用バナナだそうですが。

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 熱帯アジアのエリアに来たら、華やかなお花が沢山。
 熱帯アジアの山には、いろいろな種類のRhododendrons(ツツジ・シャクナゲ)がありますのとのこと。

 マレーシア、インドネシア、ニューギニアから集めた300種類のロードデンドロンが植えてあるそうです。
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 他にもまだいろいろ写真は撮ったのですが・・・。

 熱帯のうっそうとした森をなんとなく思わせる温室でした。
 

 

 

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2008年4月10日 (木曜日)

ポンド高!何でも10ポンド(涙)のロンドン旅行-3日目-キューガーデンズに行く

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~パラ・ラバ・ツリーを探して~

 ロンドン旅行3日目、3月17日。この日は、キュー・ガーデンズ(キュー王立植物園)-Royal Botanic Gardens,Kew)に行きました。
 「ロンドン旅行、どこへ行く?」と家族で話した時、私が主張したのは「キュー・ガーデンズ」。日本に帰る前に、シンガポール植物園の親玉(?)みたいなキュー・ガーデンズに一度は行きたかったのです。
「キュー・ガーデンズにどうしても行きたい!」という理由は、以前「H.N.リドレーとパラ・ラバ・ツリー」という題のブログの記事を書いたため。
 「H.N.リドレーとパラ・ラバ・ツリー」は、ちょっと真面目に、シンガポール植物園の始まりの歴史と、初代園長H.N.リドレーのお話を書いていあってその1からその10まであります。興味のある方はこちらを見てね。最初のページが出てきます。

 ちょっとここで簡単に説明すると、H.N.リドレーは19世紀末から20世紀初頭まで、シンガポール植物園長だった植物学者で、パラ・ラバ・ツリーとは、天然ゴムを採る木のことです。
 ゴムの木の幹に傷をつけて白い樹液を採っているところは、映画「インドシナ」で見たことがある人もは多いのではないでしょうか。今では、東南アジアの大規模農園で栽培されている天然ゴムですが、もともとはブラジル産。このブラジルにしかなかった木を、東南アジアに根付かせたのはイギリス人達でした。
 ブラジルから運んだゴムの木の種子を、ここキュー・ガーデンズで発芽させ、最初はセイロンに運んだのですが、それを東南アジアに広めたのは、シンガポール初代園長リドレーだったのでした。シンガポール植物園は、他のアジアの地域の植物園(セイロンなどなど)と同じく、キュー・ガーデンズを頂点とするいわゆるプラント・ハンターの使命を持った植物園網のひとつだったのです。
 
 シンガポールやマレーシアで目にするパラ・ラバ・ツリー。その産声をあげたのは、ここキュー・ガーデンズ。
 さて、今でも、キュー・ガーデンズにパラ・ラバ・ツリーはあるんでしょうか?

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 泊まっているホテルの最寄駅、ユーストン駅から鉄道に乗ります。買ったチケットは、キュー・ガーデンズ駅-ユーストン駅の往復割引切符。(値段は忘れてしまいましたが、たしか結構高かったような・・・)P1110878p_2
 キュー・ガンデンズ駅。桜が咲いていました。













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 キュー・ガーデンズ駅は、田舎の小さな駅といったところ。駅前はこじんまりしていて、お花やさんや小さなお土産屋さん、お肉屋さん、ティー・ハウスなどがあります。
 きれいな住宅街を抜けて行くと・・・。

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 キュー・ガーデンズのヴィクトリア・ゲート。
 あれっ、なんだか地味・・・。と思ったら、メインゲートは別の場所にありました。でも、お土産屋は、こちらのヴィクトリア・ゲートの方が充実していました。








P1110873  さて、入り口。
ここで、入園料を払うのですが・・・。うう・・、大人一人12.5ポンド。高い!(1ポンド200円で計算してみてください。)
ちょっとした、テーマパーク並みの値段?
 でも、15歳以下はタダ。お年寄りもタダか割引料金だったので、子供と老人には優しい国なのね。
 
 15歳以下は無料のせいか、大人に引率された小学生くらいのグループがいくつも目につきました。



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 子供達が手に持って、園内を回っていたのがこの本。「Kids’ Kew-a children’s guide」 3.95ポンドです。
 この本は、大人向けの「Kew Souvenir Guide」 4.95ポンドと共に、入り口のチケット売り場で買えます。もちろん園内のお土産屋で買えます。


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 この本は、なかなかの優れもの。子供達に分かりやすく、植物園内の見所を紹介しているのですが、プラント・ハンター達がかつて持ち込み、現代の生活の中でも身近に口にしている植物達のことも載っていて、子供には馴染みやすく興味を引きそう。

 ココナッツ、お茶、コーヒー、チョコレート、ナツメヤシ、アナトー(スナック菓子など、食品の赤い染料に使われいます。)
などなど・・・。
 子供達に普段口にしている食品の起源を知らせることが出来ますね。P1110684pp
 私達もこの本を手に、3つある温室の1つ、パーム・ハウス(The Palm Houuse)へ。ここ、パーム・ハウスの椰子のコレクションは充実しているそうです。

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 パーム・ハウスの中に入ると、凄い湿気。カメラのレンズがぱあっと曇ります。
バナナの前は、人だかり。
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 椰子の木もいっぱい。なにやら懐かしい、フィッシュ・テール・パームの葉が見えます。P1110704p
 こちらは、アナトー(Annatto)。Kids’Kewに紹介が載っている植物。
 アナトーやカカオのように、お菓子に使われていたり子供に身近な植物は、インストラクターが実物を展示して説明してくれます。
 触らせてくれたり、匂いを嗅いだり。P1110703p
 こんなふうに、Kids’ Kewに載せてある植物は、分かりやすいように札がついています。

 さて、インストラクターのおばさんに、
「パラ・ラバ・ツリーはありますか?以前シンガポールに住んでいて、シンガポール植物園によく行っていたんですけど・・・。」と話したら、
「もちろんあるわよ。こっち、こっち。」





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 ありました!パラ・ラバ・ツリー。
Kids’ Kewの説明付。<P1120198p
 Kids’ Kewには、食品と使われている植物だけでなく、生活用品として利用されている熱帯の植物達も載せてあります。
 私達の快適な生活は、いろいろな地域から来た植物達を利用していることがわかるわけですね。P1110693p
 大人向けにも、きちんと説明があります。P1110698p
パラ・ラバ・ツリーの懐かしの三枚葉。ここで、会えるとは思わなかったわ~。P1110708p_3
 これは、世界一大きな球果を実らせたソテツだそうです。
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 球果がなった時の写真。

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 このもじゃもじゃ垂れ下がっているのは、たしかシンガポール植物園の蘭園で見たような・・・。

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 懐かしいような光景。
 

この次の記事もキュー・ガーデンズです。
一日では、見切れないぐらい広くて、見所いっぱいのキュー・ガーデンズです。

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2008年4月 7日 (月曜日)

ポンド高!何でも10ポンド(涙)のロンドン旅行-2日目

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 3月16日、ロンドン旅行2日目。昨日のインド料理の夕食に満足し、ユーストン駅(Euston Station)近くのホテルで快適に目覚めました。
 私が嬉しかったのはホテルのバス。バスタブにゆっくりお湯が張れる~!実は、ブローニュの我が家のアパルトマンのバスルームはいまひとつだったのでした。シャワールームとバスルームが別々にあるのに、バスタブがとっても小さい。家の広さが結構あるのに、なんでバスルームをわざわざこんなに狭く作るんだろう??
 イギリス式とかアメリカ式のバスルームは、トイレ、洗面台、シャワーブース、バスタブが一緒になっているのではないかと思います。シンガポールでは、そういう造りだったので、バスタイムがとっても快適だった。
 でも、パリ近郊の我が家は、バスルーム、シャワールーム、トイレが別々にあり、しかもトイレには手を洗うところが無かったんです。同じアパルトマンに住んでいる日本人に、「どうしているの?」と聞いたら、「外に出て、洗面台が台所の蛇口で洗っている。」とのことでした。こういう造りが一般的なのかどうなのかわからないけれど、夫は、家主の許可をもらって、トイレに簡単に手を洗う台を設置してもらっていました。
 パリで泊まったノボテルもこういう造りでした。あんまり好きじゃないところが、バスタブにシャワーカーテンがついてなくて、バスタブの半分ぐらいまで、プラスチックの透明な板で仕切れるようになっていました。我が家のアパルトマンもそうだったけれど、バスタブでシャワーを浴びようとするとお湯が床に大分こぼれてしまいます。こういうのがフランス式?
 ともあれ、イギリス式朝ごはんにもとっても満足し、さて出掛けようとしていたら雨が降っていました。
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 とりあえず、雨の当たらない場所を観光しようということで、大英博物館へ。
 大英博物館のありがたいところは、ポンドの高いロンドンで入館料がタダとういうところ。
 冒頭の写真は、アッシリアの造花だそうです。紀元前2500年のもの。使い方がいまひとつ分からなかったけれど、紀元前の造花というところが珍しかったので。

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 エジプトの展示室で。
多分誰もがどこかで一度はめにしているはず。

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こちらは、ロゼッタストーン。大英博物館のスーベニアショップには、このロゼッタストーン関係の土産物が沢山おいてあります。ロゼッタストーンTシャツ、マウスパッド、石の置物、キーホルダー、マグカップ、手提げなどなど。傑作だったのが、ジグソーパズル。完成させるのは難しいだろうね~、と言いながら結局我が家は買ったのでした。




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 エジプトの展示室はやはり凄い人気です。本当は、ミイラがずらっと並んだ部屋があるのですが、私はその部屋の写真はパス。

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 こちらは、日本の展示室の展示品。
「碁盤に乗る男の子」と書いてあったけれど、これは将棋盤だと思います。


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 根付のコレクションのひとつ。
茄子のなかに、鷹と富士の遊び心。

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 大英博物館を出ると、外は雨。とりあえず、トラファルガー広場へ。
 トラファルガー広場を囲むように、ナショナルギャラリーがあります。子供達は、博物館、美術館ばかりでうんざりしていたけれど、ちょっと中に入って、めぼしい絵をチェック。入館料はやはりタダです。
 こういう美術館の見方って、絵画の好きな人に怒られそうだけど、時間が無い時は、まずスーベニアショップに行って、目玉の絵をチェックしてから、見て回ると効率的です。その美術館の目玉や見所が、土産物になってひと目でわかるから。

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 通りを歩いていると、なにやらパレードが。緑の帽子を被っている人が沢山いたので、セント・パトリックデイのパレードだと思うのだけれど。



P1110655p  お昼は、フォトナム・アンド・メイソンのレストランで。さすがに前日のレストランより美味しかった。それにそれほど値段の差が無かったので、注文の仕方にもよるけれど、こちらの方がお勧めです。

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 こちらは、フォトナム・アンド・メイソンの向かいの王立芸術院(Royal Academy of Arts)。
 ロンドンも、入ってみたい美術館がいっぱい。でも、子供達が文句を言いそうなので諦めました。

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 ロンドンに来たからには、ここは押さえておかなければ・・・ということで、バッキンガム宮殿へ。
 フォトナム・アンド・メイソンから歩いて行ける距離です。










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 ヴィクトリア女王記念碑。














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 衛兵交代はみられなかったけれど・・・。







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 バッキンガム宮殿前のグリーン・パーク(Green Park)。晴れていればもっと気持ちのよい散歩道だったでしょう。
 でも、イギリス式庭園が見たかった私は、満足。
 イギリス式庭園と言っても、ボーダーが作ってあるものとか、イギリス式風景庭園だとか、中国風イギリス式庭園だとか、いろいろあるらしいのですが・・・。
 でもこういう感じは、確かにパリの幾何学的庭園とは違った雰囲気。
 

 

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 水仙がこういう風に咲いているところを見てたかったので、満足。
 
 この日は、夕食は、中華街へ中華を食べに行きました。
 シンガポールのタイガービアが置いてあるお店を発見して、懐かしさのあまり入りました。
 美味しかったし、安かったです。

 






















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ポンド高!何でも10ポンド(涙)のロンドン旅行

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 3月14日がパリ日本人学校小学部の卒業式でした。約1年のフランス滞在をもうじき終えようとしている我が家。ヨーロッパに家族揃っていることなんてめったに無い機会。なので、引越しも迫り、忙しい3月15日~17日にロンドン旅行をしよう!ということになりました。
 ちなみに、この3日間はフランスでは連休です。フランスはびっくりするぐらい休日が多いのです。3月は、15日から17日と22日から24日までが連休でした。5月も連休が続くし、復活祭のお休み、夏のバカンス、クリスマス、冬のスキー休暇などなど・・・。しっかり、バカンスをとって、美味しいものを食べて、残りの日は、とんてんかんと家の造作やガーデニングをしていれば、人生幸せ、悩みなし(?)かなあ、なんてよく思ったものでした。
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 冒頭の写真も、この写真もパリのガール・デュ・ノール-Gare du Nord(北駅)の様子です。
 ここから、ユーロスターにのって、ドーバーの海底トンネルを抜け、約2時間半でロンドンへ。

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 ユーロスターです。
 フランスに来てから1年、「せっかくヨーロッパに棲んでいるんだから。「子供達にヨーロッパのよいところを見せたい。」と、半ば意地になって、出来る限り旅行をしてきたのだけれど、このロンドン旅行が一番気分的に気楽だったかな~。
 なにしろ、この1年長男は受験生。「受験生がのんびり旅行していていいのだろうか・・・。」とか、親にもいろいろな不安や焦りがあったし、長男も旅先に勉強道具持参で旅行して、ホテルで塾の宿題などをやっていたりした1年でした。


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 こちら、ユーロスターが着いたロンドンのセント・パンクラス駅(St.Pancras)。

 気分は気楽だったけれど、お財布を預かる方としては、気が重~いロンドン旅行。何しろ、この時で1ポンドが200円くらいだったのでした。ちょっと前までは250円ぐらいだったのでまだましか(?)。ユーロも1ユーロ160円ぐらいだったから、高いなあと思っていたけれど、ポンドはもっと高~い!。
 それに、どうもイギリスでは1ポンド100円ぐらいの感覚があるらしく、「何でもとにかく10ポンド。」という感じなのが泣ける・・・。
 ちょっと、食事をしようとすると一皿10ポンドからだったり、地下鉄のチケットが3.5ポンドだったり。(ただし、地下鉄のチケットは、1日限り乗り放題4,5ユーロ(だったと思う)があったり、他に割引チケットというのがあったりします。)
 一日目の、お昼ご飯に入ったお店が、マダム・タッソーろう人形館の向かいの、セルフサービスの大して美味しくもないレストランだったのに、家族4人で100ポンドはちょっとショックでした。
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 さておき、セント・パンクラス駅のすぐ隣は、キングス・クロス駅(King’s Cross)なのでした。キングス・クロス駅と言えば、ハリーポッターのお話にでてくる9と4分の3プラットフォームがあるところ。
 「こちらが9と4分の3プラットフォーム」という案内板に従って行くと、なんでもないような人の通り道の壁にカートをわざわざ半分埋まっているように作ってありました。お茶目といえばお茶目・・・。
 ここで、記念写真をパチリ。



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 旅程が2泊3日だったので、ロンドン全部は当然見切れない。家族で行きたいところを出し合ったら、子供達はベーカー街に行きたいとういう希望でした。
 「名探偵コナン」の映画版でベーカー街が出てくるので、その影響らしいです。ちなみに、イタリア旅行の時に、ヴェネチアに行って子供達が思い浮かべたのは「ポケモン」でした。アニメの影響って凄い・・・。

 こちらはシャーロック・ホームズ博物館のお土産屋の前。ちなみに、ここはベーカー街221Bではなくて、239番地だそうです。
P1110593p シャーロック・ホームズ博物館の前の昔の警官の格好をしたこのおじさんは、とっても愛想よく記念写真に応じてくれます。
 シャーロック・ホームズの帽子も用意してあって、ショーロック・ホームズになりきって記念写真も撮れます。

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 シャーロック・ホームズの住んでいた下宿屋を再現した博物館内。
 4階までありますが、階段は思っていたより狭い。ハドソン夫人、お茶や洗面用の洗面器や水差しを持って行くの大変だったろうな~、なんて思ったりして・・・。

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 こちらは、いかにもホームズとワトソンがくつろいで語り合っていたような暖炉の前椅子とテーブル。
 ホームズなりきり帽子やパイプも用意してあって、記念写真が撮れます。


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 別の部屋の暖炉。
シャーロック・ホームズもそうだけれど、子供の頃イギリスの物語を読んでいて、いまひとつ暖炉のイメージが浮かばなかったのですが、なるほどこんな風になっていたんですね。















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 窓辺のノートは、感想用ノート。
二男はしっかり名前を書いていました。


















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 窓から、通りを見下ろすとこんな感じ。
シャーロック・ホームズが「ワトソン君、通りを見てご覧。」といって、ワトソンが見下ろしたのも、ロンドンバスと辻馬車を置き換えるとこんな感じだったのかしら。

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 部屋の隅には、もちろシャーロック・ホームズの銅像が。
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 物語の場面も再現してあります。
マニアはすぐ分かると思うけれど。













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 最上階になぜがトイレがありました。
昔の一般的な下宿屋が最上階にトイレを作っていたのか、それともたまたまここだけこうなのがわかりませんが、大変そう・・・。


 この日、夕食はインド料理を食べに行きました。昼食よりも、安くて美味しかったです。












 

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2008年4月 4日 (金曜日)

駆け足ロワールの城めぐり・2

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 帰国から1週間あまり経ち、いつにない時差ぼけと船便第一便の片付けも一段落したので、いよいよ急いで住民票を登録しなければならない。今日は、住民登録のために駆け回りました。
 この住民登録、小学生や中学生の義務教育中の子供がいてかつ、丁度卒業の時期に帰国となると、登録する時期が微妙なんです。というのは、義務教育中は、住民登録した地元の公立小・中学校に通う権利と通わせる義務があるため。そのまま、公立小・中学校に通わせるというタイミングなら、すぐ住民登録しても何にも問題はないのです。でも、卒業学年の場合は、地元の小・中学校の卒業式のたとえ1日前でも住民登録してしまうと、転校の手続きをとって、卒業式も出席することになるそうで。
 日本人学校の先生から「絶対、地元の公立学校の卒業式が終わってから住民登録してくださいね!」と念をおされました。

 さて、住民登録に必要な書類って何?ということで、市役所に尋ねると(私は、埼玉県の某市に住んでいます。)「家族全員の住民登録なら、戸籍謄本と附標、全員のパスポートを持ってきてください。」とのこと。我が家の戸籍はさいたま市なので、電車にのってさいたま市の役所(大宮駅に支所があるので便利)に行き、戸籍謄本・附標を取って市役所へ。結構面倒だたのね。
 でも、最近は本人の確認がきちんととれれば、書類に印鑑を押さなくてもよくなったんですね。(持って行くのを忘れたので、というより印鑑がいるなんて失念してました。ホッ。海外ボケ。)それに、役所の方々がこちらの質問に丁寧に答えてくれて助かりました。(例えば、「さいたま市の役所で戸籍謄本をとりたいけれど、一番便利そうなところはどこですか?」など。)
 これで、あと二男の中学校に入学届けを出せば学校関係の手続きは完了。

さて、駆け足だったロワールの城めぐりの続きです。冒頭の写真は、シュノンソー城ですが、道順からブロワ城の次に行ったのは、アンボワーズ城です。ブロワ城からアンボワーズ城までロワール河沿いの道を行きます。ここで目に付いたのは、葡萄畑と、「あれっ、あれカーブじゃない?ワインを売ってるよ。」でした。そういえば、ロワールのワインってあったよね。
 丘の斜面をくりぬいたようなカーブやお店があって、ちょっと入ってみたかったけれど、時間もなかったし持って帰るのも面倒なので断念。
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 アンボワーズ城下についたら雨が降っていました。中世の町並みがきれいなので城下をちょっと散歩して、ティータイム。







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 この坂を上ったところがアンボワーズ城。

P1120055p 今は、坂の途中は土産屋が並んでいるけれど、城が城として機能していた頃はなんだったんだろう。
 11~12世紀は堅牢な城塞だったそうで、城からの眺めは素晴らしいそうです。が、時間がないので、ここも見学はパス。

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 こちらが、シュノンソー城へのアプローチ。シュノンソー城は、ロワール河の支流のシェール川の上に建てられています。
 城までの道は、気持ちの良い林が続きます。

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 程なく、城が見えてきました。今まで見てきた、城塞とは違って優美で女性的です。それもそのはず、代々の城主は女性だったそうです。
 アンリ2世の愛妾、ディアンヌ・ド・ポワチエがこの城をアンリ2世から贈られ、優美な城へとつくりあげていきました。しかし、アンリ2世の死後、王妃、カトリーヌ・ド・メディシスはディアンヌにこの城を明け渡すように申し渡しました。
 かわりに住んだ王妃は、この城から権勢をふるい、城をさらに素晴らしいものにしたのだそうです。


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 門柱の上のこれは、スフィンクス?

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 駆け足ロワールの城めぐり最後の城、シュノンソー城はしっかり見学することにしました。
 こちらは、衛兵の間の大きな暖炉。火が入っていて、周りは暖かです。

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 礼拝堂。ちょうど復活祭のころだったので、卵の飾りつけが城のあちらこちらで見られました。

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 礼拝堂のステンドグラス。

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 川の上に渡っている回廊。床の白と黒のタイルがリズミカルです。
 

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 この城は、第一次世界大戦中、傷病兵を収容する病院になったそうです。







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 窓から見える、城の基礎。本当に川の真ん中に建てた城なんだと実感。

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 ディアンヌの居室。


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 こちらは、城の台所。こまごまと昔の調理器具が再現されていて、好きな人はたまらないと思う。


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 台所へと続く廊下からは、さっきの窓から見た城の基礎の内側が見えます。
 川の流れは急になっているけれど、基礎の内側に船を着ける場所が作ってあって、川から台所に直接食料を運べたそうです。

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 カトリーヌ・ド・メディシスの書斎。意外と小さな、でも、川の上の書斎なんて持てたらいいな~、と思わせます。


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 書斎の窓からは、川の流れと、フランス式庭園が眺められます。
 庭園も素晴らしいらしいのですが、あいにく雨が降っていてゆっくり見られなかったのが残念でした。


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 これは、入り口に戻って衛兵の間のタペストリー。
 生花のアレンジメントが随所にしてあって、良い香りがしていました。

 やはり、女城主の城は女性が見て凄く喜ぶような造りかな~。生意気盛りの長男は、あんまり興味がなさそうでした。後学のため、一応見学させたけど。
 
 親は、フランスももう最後だからと、いろいろ見せたいわけだけど、子供は、例えば学校のことや友達のことや勉強のことや将来のことや・・・、もっといろいろ気にかかることがあるようで・・・。観光地や世界遺産を見ることより、そちらの方が大事な時もあるんだな・・・。

 一家で海外に住んだわけだけれど、子供の海外生活のとらえ方と大人のとらえ方感じ方は、違うものだとつくづく思ったのでした。

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2008年4月 3日 (木曜日)

駆け足ロワールの城めぐり

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 昨日4月1日、船便第一便が届きました。43箱なので楽かな~、と思っていたら結構大変だった。もともと狭い家に、ああでもないこうでもないと収めるのに時間がかかってしまうし、食器類を送っていたので、この開梱が大変なのね。
 私は国内引越しの時は「お任せパック」というのを利用したことがなく、食器類も自分で梱包していたので、国内引越しの時のプロの梱包の仕方というものを知らないけれど、海外引越しの場合は、荷物を船で長旅をさせるわけだから、紙を大量に使ってとにかく厳重に梱包するのだ。
 だから、ダンボールの中は、仕切り用ダンボールと紙が沢山詰まっている割には、中身が少なかったりする。大量に出るしわしわになった紙を、しわを伸ばし簡単にでもたたまないと物凄く場所をとるごみになる。面倒がらずに「しわ伸ばし、たたみ作業を」をしなければならないので、もちろん息子二人にこれはやらせた。
 シンガポールからフランスに移動した時、二便が140箱だったら荷物が多いと言われた。(でも、ヨーロッパ間の移動や、フランスから日本への移動だともっと多かったりするそうだ。)我が家は、運送屋さんの手を煩わせなけばならない小物や食器(これは、必ずプロにやってもらわなければならない。自分でやったら、後で梱包の仕方を見てもらわないといけないから。)と、書籍類が多いので、箱数が多くなるらしい。学齢期の子供が二人もいると、教科書やら参考書類やら読ませたい本やら、とにかく書籍が多くなる。
 本や書類なども、自分で詰める場合はなるべくゆったり詰めて欲しいと言われた。紙類は重いのでぎっちり詰めてしまうと、これを運ぶスタッフが大変なんだそうだ。
 洋服類などは、自分で詰めようがぎっちり詰めようが、もともと軽いし壊れ物ではないので何にも言われない。

 シンガポールからフランスへ移動した時は予定より大幅に時間がかかってしまった。こうなると負担だし、困ることも出てくる。ひとつは、運送のスタッフがあせっているので(こちらもあせるし)、最後のチェックがお座なりになって積み残しが出てきたりすること。
 本当は、梱包して持っていきたかったものが「時間が・・・」と言われ、あきらめたり、自分で飛行機の手荷物で持って行かざるをえなくなってしまったこと。我が家は、冬のフランスに移動したため、一旦日本へ寄りいろいろ買い揃えたせいもあったが、重量オーバーで超過料金を航空会社に払った。(痛い出費だった。)
 もう1つは、時間が押すととにかく疲れるのだ。運送屋が荷物を出した後の後片付けが遅くまでかかると、ゆっくり夕食もとれなくなる。せっかく楽しみにしていたホテル泊も慌しくなってしまう。

 と、いうわけでとにかく小物食器類の整理整頓、つまり処分を心がけている。今回も、処分の箱に回した食器類がかなり出てしまった。やはり日ごろからの整理整頓、いらないものは買わないもらわないって言うことが大事なのね。ふたを開けてみたら、処分したものは、銀行や粗品でもらった食器類や、結婚式の引き出物が多かったのでした。

 前置きが長くなってしまったけれど、3月24日はローワルの城めぐりをすることにした。でも、盛り上がっていたのは私だけで、残りの男三人は半ばぶ~たれていたけれど・・・。
皆引越しと後片付けで疲れていたし、丁度パリは寒かったせいで、夫は風気味、長男は「俺は本当は、科学博物館に行きたい。」と言うし、二男は「ホテルでテレビ見たい。」。
 朝食前にもめ、出発が遅くなってしまったので、とにかく駆け足でまわることにした。

 冒頭の写真は、シャンボール城。世界遺産になっているらしい。けれど、時間が無かったのと小雨が降っていて気分も盛り下がっていたので、中の見学はなし。子供達には、「見たかったら、大人になって自分の力で稼いでまた来なさ~い。」
 実は私と夫は、ロワールの城めぐりは新婚旅行のときにしているのだ。でも、バスツアーでは気が付かなかったってことがあるのねって、お互いに実感しました。
 シャンボール城は狩のために建てられた城だそうで、回りが森になっている。前にブログで書いたジアン(こちらを見てね)とは、様子がまったく違うー。ジアンは要塞都市だったから、城が街に囲まれていて、城を囲む街自体が堅牢な感じだった。同じ城といっても、いろいろなんですね。
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 ブロワ城を河向こうから臨んだところ。地の利があったらしく、5世紀ころから城砦があったそうです。
 12世紀から百年は、宮廷の表舞台にもなったそうで、いかにも政治が行われ、人々が暮らし守ってきた街らしいですね。

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 街へと渡る橋も、重々しい・・・。














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 丁度花が咲き始める時期でした。晴れていなかったのが残念。

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 ブロワ城入り口。でも、やはり時間が無いので見学はパス。


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 せめてまわりでもしっかり見ておきましょうと、ちょっと散歩。少し寒かったです。


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 城は、ロワール河を見渡せる高台に建てられています。もともと砦だったのだなあと、実感できます。
 こういうこと、昔観光バスで見学した時は気づかなかったな。


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 城の前庭から見た街の様子。向こうに見えるのは教会かな?
 城を建て、教会を建て、街を造り、こうやって支配したんですね。

 明日は、アンボワーズ城、シュノンソー城です。

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2008年1月 1日 (火曜日)

ストラスブールのクリスマスマーケット

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いしたします

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 上の息子の冬季講習が休みの12月末の1日、ちょっと息抜きにストラスブールに行きました。ストラスブールは、古くから栄えたアルザス地方の中心の都市。ライン河の支流、イル川に囲まれるように旧市街があります。紀元前12年ごろには、ローマ人の集落がすでにこの地に造られたとか。
 ドイツ国境に近く、ドイツとフランスの間で領有が繰り返されので、パリから来るとドイツを感じる街です。木組みの家(maison a colombages)の街並みみが川面に映えてとてもきれい。パリを散歩するのとはまた違ったゆったりとした気分になります。
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 息子は受験生なので、あんまりゆっくりもしてられない。今年の3月には日本へ本帰国するので、少しでもフランスを見せておこうと思っての旅ですが、朝の8時20分発のTGVにパリ東駅から乗って、夕方7時半にはパリに着という、駆け足の旅でした。
 TGVは早朝だと、割引運賃で乗れます。インターネットでチケットを買える車両に乗りました。





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 車内のブッフェの朝食のセット4.6ユーロにクロワッサン1.5ユーロをプラス。







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 時速320Km。車窓からは、のどかな田園風景が飛ぶように過ぎていきます。
 パリやブローニュ市の石造りの街並みで暮らしていると、やはりこういう風景にほっとします。










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 ストラスブールの駅舎。ストラスブールはクリスマスツリー発祥の地だそうです。また「クリスマスの首都」に選ばれているので、クリスマスの飾りがとても賑やか。12月いっぱいはクリスマスマーケット(Marche de Noel)も開かれています。

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 ストラスブールは、ぶらぶらっと散歩して見て歩くのがちょうどいい街。
 木組みの家の窓には、それぞれの意匠を凝らしたクリスマスの飾りが見られます。

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 何故ガチョウ?と思ったら、ここは、フォア・グラ屋さんでした。ストラスブールはフォア・グラでも有名なんだそう。







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 こちらは、道路脇の手すりに飾ってあったくまさんたち。

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 このお家はどの窓にも、サンタさんが飾ってあり、サンタさんが皆違うことをしています。
 この飾りはよく見ると、サンタさんが釣をしている様子。










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 広場(Place Kleber)に立つ、巨大クリスマスツリー。


















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 こちらは、窓の下に飾られたクリスマスツリー。



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 お昼は、シュークルート(choucroute)。
キャベツの千切りを塩漬けにしたものを白ワインで煮込み、その上にソーセージやハムがのっています。スツラスブールはパリより寒いので、シュークルートは体が暖まります。









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ノートル・ダム大聖堂(Cathedrale Notre-Dame)。
この大聖堂の足元の広場(Place de la Cathedrale)では、大きなクリスマスマーケットが開かれています。

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 様々な出店と、たくさんの人出。

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こちらは、クリスマスの飾りを売っています。

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4時を過ぎると、もう暗くなり始めます。
イルミネーションの灯りが映え始めますが、そろそろパリに戻る時間。
 急いで、駅に向かいます。









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2007年12月25日 (火曜日)

パリ市庁舎のスケートリンク-Joyeux Noel

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 パリ市庁舎の前に、スケートリンクが出来ています。冬のパリの風物詩だそうです。隣には雪橇用の坂も作ってあり、こちらは小さな子供達が遊んでいます。
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 メリーゴーランド(manege)も。














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こちらは、パリ市庁舎近くの庶民的なデパートBHV。
 家電から、大工用具、食器、洋服、化粧品etc.何でもあり。ちょっと気の利いた文房具などがあり、日本のLoftみたいな雰囲気。

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 いつも行くマルシェのそばのパン・ケーキ屋(bouoanberie patisserie)さん。ここら辺は、ブローニュではなくてパリ16区です。町並みがやはりブローニュより雰囲気がいいです。
 いつもパンやケーキを買う人で店の外まで行列しているのですが、今日はまた、長い行列を作っていました。

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 こちらが、このお店で買ったブッシュ・ド・ノエル。ブッシュ・ド・ノエルも伝統的なものや、チョコレートのコーティングされているものや、いろいろバリエーションがあります。
 まわりに、ドライ・フルーツやチョコレート、マロングラッセを飾りました。
 クリスマス近くなると、こういった甘いものがパン屋さんケーキ屋さん、スーパーにもたくさん出回ります。
 マロングラッセは特に、このクリスマス・シーズンにしか店頭に出ないものなんだそうです。季節限定のお菓子だったんですね。

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 ほとんど満月に近い月と、エッフェル塔。
 クリスマス・イブは、あちらこちらから教会の鐘の音が聞こえてきます。まるで、日本の除夜の鐘のようです。どの教会でもミッドナイト・ミサ(La Messe de Minuit)を行うそうです。
 日が暮れるにつれ、街がしんと静まっていくようすは、日本の大晦日と同じですね。

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 クリスマスソングを聴きながら、シャンパンとケーキを。
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メリークリスマスJoyeux Noel! 

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2007年12月23日 (日曜日)

オンフルール-Honfleur

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 パリ日本人学校も冬休みに入りました。上の息子(受験生)は、冬休み中朝9時から夜9時まで塾の冬季講習です。上の息子には2食分のお弁当を持たせているので、私と夫と下の息子は、今日は、オンフルール(Honfleur)という、ノルマンディの港街に行きました。
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 オンフルールは、ル・アーブル(Le Havre)とセーヌ河河口を挟んで位置している、ノルマンディ(Normandie)の港街です。
 オンルルールの歴史は古く、1027年には既に、港街として記述が残っています。12世紀には、ルーアン、イギリス間を行き来する交易港として栄えていました。
 英仏間の百年戦争(1338年~1453年)の初期の頃は、シャルル5世の命令により、セーヌ河河口を守る最前線となりました。
 しかし、1419年から1450年の間、イギリス領となりました。
 百年戦争が終結した後は、海洋貿易港として18世紀まで栄えました。
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 16世紀から、新大陸への出発港となり、ブラジル、カナダ、アフリカとの交易も始まりました。アフリカとの交易では、フランスの奴隷貿易港の5つのうちのひとつとして栄えました。
 17世紀には交易港としてより繁栄し、街が拡大したので、ルイ14世の財務総監コルベール(1619年~1683年)の下、要塞は解体され要塞港としての役割を終えました。
 フランス革命後の19世紀、第一帝政の時代、フランスの対外貿易が極度に減少しましたが、このオンフルールも封鎖され、北ヨーロッパからの木材を扱う貿易港となってしましました。
その後、セーヌ河河口が土壌の堆積で塞がってしまい、現在は、対岸のル・アーブルが交易港として発展していますが、オンフルールは今でも港として機能しています。
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 イギリスは、海を隔ててすぐ対岸にあり、歴史の中で関わりも深いためか、パリ周辺ではちょっと見られない木組みの建物(Colombage、英語ではHalf-timbered)が見られます。

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 こちらは、サント・カトリーヌ教会(Eglise Sante Catherine)の入り口。
木材で造られた珍しい教会です。
 もともと、石造りの教会が建てられていたそうですが、百年戦争などの戦いで壊されてしまっていました。
 15世紀末、戦争が終わり、再び教会を建てようとした時は、街は城砦の復興のため教会を建てる資金がなかったそうです。そのため、人件費と材料費を節約する為、船大工が木材を使って建てた教会なのだそうです。

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 教会の内部です。

 



 
 


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 クリスマスシーズンなので、丁度イエス様の誕生の飾りがしてありました。



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 子供達の作品も展示されていました。
可愛い馬小屋に、イエス様、マリア様・・・。

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 子供のマリアに書き方を教えているサンタントワンヌ像。1684年に設立され現在も存在している信徒団体の守護聖女だそうです。











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 ステンドグラスの美しい祭壇。


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 こちらは、外側から見た教会の窓です。瓶の底のような小さなガラスを集めています。

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 教会を通りから見たところです。

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 こちらは、祈り堂。

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 この建物は、ティーサロンなのですが、なぜが屋根の上に猫の置物があります。

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 オンフルールは、印象派の画家ウージェーヌ・ブーダン(Eugene-Louis Boudin 1824年~1898年)生誕の地でもあります。
 また、クールベ(Gustave Courbet)、モネ(Claude Monet)などの印象派の画家達が集まり、港街を絵の題材にしています。

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 この通りには、画廊が並んでいます。

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 お昼ご飯に寄ったレストラン。クリスマスの飾りつけをしていました。

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 サン・レオナール教会(Eglise Saint Leonard)の前にもツリーが。

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 港の入り口にもツリー。

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 こちらは、オンフルールの公園です。
少し雪が降ったらしく、うっすらと雪が残っています。
 先週からパリのぐっと冷え込み、連日最高気温が0℃、-1℃、1℃という日が続いています。
 オンフルールは、晴れて穏やかでしたが、気温は低かったようです。




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 海岸です。丁度引き潮でした。
潮溜まりは、凍っています。

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 凍った潮溜です。










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 夕日に映える港の入り口。

 オンフルール港は暮れていきます。


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2007年8月27日 (月曜日)

ジアン-Gien

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雨と曇り空が続いていたパリも先週の土曜日からやっと夏らしく晴れるようになりました。
そこで8月25日、ロワール河沿いの街ジアン(Gien)に行って来ました。ジアン市はパリから高速道路(A77)を使い、150キロほどのロワール河沿いにあります。
 ジアンと言うと、フランスの伝統陶器メーカーの名前を連想する方もいるかと思いますが、その陶器メーカー、ジアンの工場もここにあります。
 冒頭の写真は、ジアンの教会と城をロワール河対岸から見たところです。
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 シュノンソー城やシャンボワール城といったロワール河沿いの観光名所からは少し離れ、城廻りスポットからは外れているような城と街ですが、ジアンの歴史は先史時代から遡ります。小さな村であったジアンは、様々な治世や支配といった時代の流れの中で発展しますが、数々の攻防により城塞都市となっていきました。
 ジアンが王家の所領となったのは、1199年、フィリップ2世(フィリップ・オーギュスト 1180年~1223年)の治世の頃でした。
 上の写真はジアン城です。
P1090404jpgp  ジアン城は、ルイ11世(1461年~83年)の長女、アンヌ・ド・ボージューが伯爵夫人の称号とともに父王から与えられたものです。アンヌ・ド・ボージューは賢い姫君だったらしく、父王の死後、弟のシャルル8世(1483年~98年)の後見人になり摂政を務めました。
 ジアン一帯は狩猟の獲物の豊富な土地であったそうです。ジアン城は現在、狩猟博物館になっています。
 上の写真は、城から眺めた街の様子です。




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P1090391jpgp  フランス伝統陶器ジアンの工場です。博物館と工場直売のショップがあります。工場直売店では、市価の6割から7割で陶器が買えますが、色付けに少々ばらつきがあります。











P1090441jpgp  私が買ったOiseau Bleu-オワゾー・ブルーのシリーズのお皿。
 一枚一枚見比べて、自分の好みの色付けのものを選びました。

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2007年8月23日 (木曜日)

スイス旅行*スネガからツェルマットまでのハイキングコース

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 とりあえずロートホルン展望台まで登ってみた我が家。この日は、グリンデルワリトからツェルマットまで鉄道を乗り継いで来たので、展望台に着いた時は午後はもうすでに夕方に近づいた時間。せっかくだからハイキングもしたいけれど、どのコースを歩こうかガイドブックとじっくり相談しました。私は、ブラウヘルトからスネガのコースを歩きたかったのですが、所要時間3時間とあって断念しました。すでに時間は午後4時になろうとしていました。昼の長いヨーロッパとは言え、この時間から3時間歩くのは剣呑ですから。結局スネガからフィンデルン村を通りツェルマットに戻るコースを歩くことにしました。こちらは、所要時間2時間。ある程度寄り道しても、暗くなる前にツェルマットに戻れるでしょう。
 ところで、ハイキングをするとき何かわからないことがあったり、不安に感じたら、インフォメーションセンターに聞くのももちろんのこと、鉄道の窓口でもお店の人でも現地の人に聞いてみましょう。スイスは英語が通じるので大丈夫です。
 冒頭の写真は、スネガ駅より下ったすぐのところにあるライ湖です。午前中なら逆さまに湖に映ったマッターホルンが見られるそうです。
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マッターホルンを眺めながら下って行きます。スネガからライ湖(Leisee)を通りすぎてしばらくは、草原が続き岩や石がところどころに顔を出しています。

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  岩の間から伸びる植物。黄色い花が咲くようです。調べたけれど、名前がわからなくて・・・。でも、この植物をみてムーミンに出てくるニョロニョロを思ったのは私だけ?

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 これもなんだがわからなかったけれど、やっぱりニョロニョロを思い出してしまった。

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  ベンケイソウ科(Crassulaceae)のSempervivumの何からしいです。

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 ベンケンソウ科のお花が出てない状態なんでしょうか・・・。

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 花いろいろ。「あふれる魅力 アルプスの花」という本を買ったのですが、どの花がどれか、見分けるのはなかな難しいですね。

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フィンデルン村(Findeln)が見えて来ました。この村にも眺めのいいレストランがあるのですが、先を急ぐのでとっとととおり過ぎます。

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  村を村を通り過ぎると、草原は終わり針葉樹の森が始まります。

P1090224jpgp しばらく林道が続きます。

P1090227jpgp ネズミ返しの小屋。納屋または穀物倉庫として使われていたこの地方独特の小屋だそうです。高床式になっていて、小屋の床とそれをささえる柱の間に円盤状の石を挟んでいます。これはネズミ除けだそうです。
 ここを下りてしばらく行くとGGB(ゴルナーグラート鉄道)の鉄橋と滝が上から見えます。鉄橋が見えるともう林道も終わりです。





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 踏み切りを渡り、しばらく下りるとGGBの鉄橋と滝が良く見えるところに出ます。ここら辺から、ヴィンケルナッテン(Winkelmatten)の村があり、ツェルマットまで美しい造りの家並みが続きます。

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 花で飾られた美しい家が続きます。長期滞在用の家もあるようです。










P1090237jpgp  小屋の屋根の上にも花が。

 さて、我が家のスイス旅行もここで終わりです。
翌日は朝9時のMGB(マッターホルン・ゴタール鉄道)でローザンヌまで戻り、TGVでパリに帰りました。スイスとフランスの国境のVallobeでTGVが故障し、2時間ほど止まっていたというおまけつきでした。
 
 ここまで、根気良く読んでいただいた方、ありがとうございました。

 

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2007年8月22日 (水曜日)

スイス旅行*スネガとロートホルン展望台

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 8月11日午後1時過ぎ、やっとツェルマット(Zermatt標高1605m)に到着。翌日12日の朝9時には帰りの鉄道に乗らなければならないので、時間を無駄にしないようにすぐにホテルに荷物を置くと、スネガ展望台(Sunnegga paradise標高2288m)へと急ぎました。
 スネガ展望台へは、地下ケーブルで行きます。ここからロートホルン展望台(Rothorn paradise標高3103m)にもロープウエイとゴンドラを乗り継いで行けるので、とりあえずツェルマット-ロートホルン往復切符(割引料金で30スイスフランを2枚、ファミリーパスを持っているので子供は無料)を買いました。様子を見て、ハイキング出来そうなら途中歩くつもりです。写真はスネガ展望台のレストランのテラス席からのマッターホルンです。

スネガ展望台はツェルマットの駅からとっても行きやすくて景色もいいところ。何しろツェルマットの駅の下の地下道を通り、地下ケーブルカー乗り場からケーブルカーに乗ってたった3分で、標高2288mの展望台に行けてしまうお手軽さです。展望台に出ると、レストランのテラス席からマッターホルンが目の前に。ここで遅い昼食をとったのですが、マッターホルンを眺めながらの贅沢な食事(食事の内容が贅沢なのではありませんにしばしボ~っとなったのでした
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こちらが、地下ケーブルカー。もともと斜めになっていて、そのまま上へ登ります。








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 スネガからロープウエイでブラウヘルト(Blauherd標高2571m)までまず登ります。ブラウヘルトからスネガまでのハイキングコースも是非歩いてみたいコースだったのですが、所要時間3時間とあったので諦めました。
 ブラウヘルトからさらにゴンドラでロートホルン展望台へ行きます。

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 ロートホルンに着きました。標高3103mのところにもやっぱり、レストランとテラス席があるんですね。冬はここまで来てお茶や食事をしながらマッターホルンを眺めるのもよし、ここからマッターホルンを眺めながらスキーで下るのもまた格別でしょう。
 日本なら高い山の上には、神社などがありそうなんですが、スイスではレストランとテラス席というのがさしずめ文化の違いということなんでしょうか・・・。




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 しつこいようですが、ロートホルン展望台から見たマッターホルンです。

 「世界森林報告」(山田勇 著 岩波新書)という本を読むと、世界中の様々な森林の状態と現在の環境、エコツーリズムの現状や取り組み、問題点、これからのエコツーリズムのありかたなどが書かれています。この本では、ヨーロッパの森はアジアの熱帯雨林やアマゾンやヒマラヤに比べると「人工空間の中の森であると言っています。
 彼によるとヨーロッパアルプスは、「アルプスに行っていつも思うことは、アプローチが極めて便利にできているということである。登山電車やケーブル、リフトによって、どんな人でも簡単に名高い高峰に近づくことができる。終点で電車を下りれば、すぐ目の前にモンブランやマッターホルンがそびえ、快適なヒュッテでビールやワインを飲みながら雪景色を楽しむことができる。これはヒマラヤやアンデスではとうてい望みえない贅沢な場である。」のだそうで、本当にそうなのでそのまま引用しました。
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 展望台から下を見たところです。細いハイキングコースが続いているのが見えます。


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  こちらは、足元の岩に生えていた地衣類です。鮮やかな花のようですね。私はどこへ行ってもつい、地衣類を探してしまいます。地衣類やコケが好きな人はなかなかいないかもしれませんが・・・。
 お勧めの本は、「野外観察ハンドブック 校庭のコケ」(中村俊彦・古木達郎・原田浩 共著 全国農村教育協会)、
「釧路湿原の地衣類 釧路湿原自然ガイド」(国立科学博物館植物研究部室長
 粕谷博之 著)です。とても身近なのに、つい見落としてしまう地衣類やコケの魅力がいっぱい詰まった本です。

 長く続いている「スイス旅行」ですが、今日で終わらそうと思っていたら終わりませんでした。明日まで、続きます。飽きずに読んで下さっている方、すみません。




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2007年8月21日 (火曜日)

スイス旅行*ツェルマットまで

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 8月11日晴れ。グリンデルワルトを離れて、ツェツマット(Zermatt)へ向かいました。グリンデルワルトからは一度インターラーケン・オストにBOB(ベルナー・オーバーラント鉄道)で戻り、インターラーケン・オストからスピーツ(Spiez)までICE(インターシティエクスプレス)で20分、スピーツからブリッグ(Brig)までIC(インターシティ)で約1時間10分、ブリッグからツェルマットまでさらに約1時間ほどMGB(マッターホルン・ゴタール鉄道)に乗るという行程。グリンデルワルトを朝9時に出て、ツェルマットに着いたのがお昼の1時過ぎ。乗り換えも多くて、いろいろな鉄道に乗れるので鉄道好きなら嬉しい行程でしょうね。冒頭の写真はツェツマットの駅前です。まだ朝の時間に写したので人もまばらですが、昼間になると観光客やホテルの迎えの車、観光馬車などで賑わいます。ツェルマットも日本人に人気のある街なので、とにかく日本人が多いです。
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グリンデルワルトからツェルマットまで、次々と乗り換えていく鉄道も面白いのですが、車窓の風景が変わっていくのを見ているのもなかなか面白いものですね。
 こちらは、グリンデルワルトを鉄道で出発したばかりの風景。なだらかな緑の斜面に絵のようなスイスの家々が点在し、まさに「絵葉書のような風景」ですね。

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 BOBの車両です。Zweilutschinen駅でラウターブルンネン方面から来た車両と連結するところです。
 インターラーケン・オストまでこの鉄道で行きます。



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 インターターケン・オストかたスピーツまでICEに乗りました。ドイツまで行く特急だそうです。車内は座席シートもすわり心地が良くてよかったです。たった20分ほどの乗車でしたが、とっても快適でした。これもパスでOKです。

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 スピーツの駅です。向こうはレマン湖です。

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 スピーツでICに乗ります。この鉄道はちょっと混んでいました。座席が4つ空いてなくて、2人づつ分かれて座りました。私は下の息子と座っていたのですが、途中でテキサスから来た4人家族のお父さんと娘さんとで相席になりました。そのお父さんが日本語を勉強中とかで、日本語と英語のちゃんぽんの会話をしました。息子の読んでいた「ビー・クワ」に興味を持って娘さんにも見せていました。息子が後で「虫を嫌がらない女の子もいるんだね・・・。」

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 ブリッグでMGBに乗ります。
ここから、風景が変わってきます。







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 ここの辺りから、山肌が間近に見えるようになってきます。線路の側にそびえたつように見える山肌に車内のあちこちでシャッターを切る音が聞こえます。
 地層がはっきり見えますね。地層が斜めに走っているところは、大陸移動の跡かな・・・。こんな感じの山の絵があったっけ。あれは画家のイメージで描かれたものではなくて、こういう風景画あったのね・・・、と思いながら眺めていると、車窓にはどんどん岩やごろごろした石の斜面が現れました。



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 車窓からこんな風景が見えるようになると、もうすぐツェルマットです。













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  ツェルマットと言えば、やはりマッターホルですね。


 

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2007年8月20日 (月曜日)

スイス旅行*クライネ・シャイデックからアルピグレン

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 Mayuriさん、コメントありがとうございます。グリンデルワルを拠点にして、植物好きの方々とハイキングすると楽しいだろうな~と、歩きながら思いました。でも、いつまで経ってもきっと目的地に着けないだろうな~とも思いました。Mayuriさんのブログの写真はいつもとっても美しいですね。楽しく見させていただいています。

8月10日、ミューレmンへのハイキングの後、ふたたび夫と下の息子の希望でクライネ・シャイデックに行くことになりました。夫は、前日のユングフラウヨッホからの眺めが悪かったことが残念だったらしく、下の息子はもう一度雪に触りたいとうるさかったのです。
 ミューレンからラウターブルネンを経て、前日とは別ルートでクライネ・シャイデックへ。とりあえず、ラウターブルンネンからヴェンゲン(Wengen)を経てグリンデルワルトへ行くWAB(ヴェンゲルンアルプ鉄道)の切符(27スイスフラン2枚)を買い、途中でハイキング出来るようなら歩く算段です。(WAB、JBの切符はSTSのパスを持っていても買う必要があります。でもパスの割引料金で買えますし、我が家はファミリー・カードなので大人料金だけでOKです。)P1080940jpgp

 クライネ・シャイデック(Kleine Scheidegg標高2061m)近辺です。ここからアルピグレン(Alpiglen標高1615m)まで下るコースは初心者向けハイキングコースです。所要時間はすたすた歩いて1時間ほど。道中ユングフラウ、メンヒ、アイガーを見渡せ、また、草原や松の木立、草を食む牛や羊、花々を楽しめるコースを我が家は道草を食いながら下ったので、予定時間よりかなりゆっくりかかりました。

P1080945jpgp     クライネ・シャイデック付近です。緑の草原の上にうっすら雪がかかっていますが、前日の雪もだいぶ溶けたようで歩きやすかったです。山を下るにつれ、緑が鮮やかになってきます。
 このハイキングコースはユングフラウ等の山の景観が見事です。でも、家族全員が一様に感じたことが「う~む、ハイジの世界だねえ。」でした。
 ヨハンナ・スピリの「ハイジ」の舞台となった地方は、ドイツに近いチューリッヒとサン・モリッツの中間当たりだそうですが、山を下って行くにつれ、「ハイジの世界だね~。」という言葉が家族の口から漏れました。雪に覆われた高い山々、花の咲いている草原の中を通る道や斜面の途中に転がっている岩、古い針葉樹など。また、上から下のグリンデルワルトの町が見渡せるところなど、アニメや映画などで繰り返し見てきた光景と重なるのでした。
 「ハイジ」は、日本ではおそらく昔の「カルピス劇場」のアニメ「アルプスの少女ハイジ」のイメージが強いのかも知れませんね。
P1080947jpgp  我が家の息子達もあえてアニメを見せたわけではないのに、何故かあの主題歌「口笛はなぜ~」という言葉で始まる歌を知っていてアルプスというとあの歌を口ずさむのです。下の息子はまた、学校で憶えたのか、ハイジの有名なセリフ「おじいさん、山が燃えてるわ!」というのを、関西弁で言うのです。そういうパロディがあるらしいです。
 あのアニメは私が小学校の頃放映されたもので(年がわかりますね)、アルプスの山々や自然が美しく描かれていました。両親も確か毎週楽しみに見ていたと思います。全国的にも人気も評価も高かったようですね。また、その後海外でも放映されて人気を得て評価も高いそうです。

P1080986jpgp_2  あのアニメは原作に忠実に丁寧につくられており、当時はなかなか行くことの難しかったアルプスの風景や、当時の人々生活などをリアルに描いていて確かに良質のアニメだと思います。
 でも、すでに原作を読み「アルプスの少女」がお気に入りの一冊だった私には、アニメ版は「ちょっと、違うかな~。」というところが結構あったかな。日本の子供達向けということで、アニメに出て来る子供は良い子過ぎ、見ている子供の私はなんとなく気恥ずかしく感じたのは、私がちょっとひねた子供だったからかしら。
 

P1080956jpgp  原作の方は、脇役達の善人だけれどその時のいたしかたない事情でとってしまう行動や、ちょっとした狡さや、つましい生活をしていく上でのしっかりとしたものの考え方などがきちんと描かれていて、今読み返しても読み応えがあります。
 娘を亡くし、すでに妻もなくしていて一人ぼっちになったお医者さんに対する、クララの父ゼーゼマン氏の友情と思いやり。お医者さんが一人、ハイジを訪ねて9月のアルプスを登っていくところなど、原作ならではないかと思います。
 子供には原作を是非読ませたいのですが、読まないだろうなあ。

P1080990jpgp_2  作者のスピリは「ハイジ」の出版後、57歳で一人息子も夫も同年に亡くしたそうですが、その後17年、執筆を続け旅行をし充実した晩年を送ったとか。強い人だったんですね。

P1080998jpgp  と、いうわけで、「ハイジワールド」を楽しみながらアルピグレンまで降りてくると可愛いレストランが。このレストランのテラスからはグリンデルワルドが眼下に見渡せます。ここでゆっくりお茶を楽しまない手はないと、ひと電車遅らせることにしました。

P1090008jpgp  麓からアルピグレンにゆっくり登ってくる登山鉄道。すぐ近くに麓の街が見えているように感じますが、歩いて降りるとここから2時間ほどかかるそうです。
 
    

 

 
  


 

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2007年8月18日 (土曜日)

スイス旅行*ミューレンのハイキングコース

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 8月10日はやっと晴れました。ユングフラウがグリンデルワルトのホテルから綺麗に見えます。昨日、ユングフラウから何も見えなかったのを残念がった夫は「う~ん、今日だったら綺麗に見えたのに・・・。」と恨めしそう。でも、今日はハイキングをする予定。
 今日の予定は、ラウターブルネン(Lauterbrunnen標高796m)の谷を見下ろしながら小さな村ミューレン(Murren標高1645m)までハイキング。もし山の天気が良かったら、シルトホルン展望台(Schilthorn標高2960m)まで行って見ることに。山の天気が悪いようだったら、別のハイキングコースを歩くことにしました。
P1080839jpgp_2  まず、グリンデルワルトからラウターブルンネンまで行きます(WABヴェンゲルンアルプ鉄道)。そこで ロープウエイでGrutschalp(標高1489m)まで行き、そこからミューレンまでハイキングです。ミューレンまでここから鉄道でも行けます。ハイキング道は鉄道線路に沿っていて、ときどき鉄道が走っているのが見えるのどかななだらかな散歩道です。
 ここから、ミユーレンまでは歩いて1時間10分ほど。ハイキング道はよく整備されていて歩きやすく、ベビーカーを押す人や、車椅子に乗った人、杖をつきながらゆっくり歩く人もいました。誰でもが、アルプスの自然を楽しみながら歩ける散歩道です。
P1080832jpgp 途中の草原で山羊や牛が草を食んでいるのを見たり、高山植物の可愛い花々を楽しんだりしながらのハイキングです。このハイキングコースからは、ずっとユングフラウ、アイガー、メンヒの山々が見渡せます。

P1080840jpgp_2  ハイキングの途中で思わず見とれる山々。

P1080848jpgp  川の流れを眺めたり。

P1080849jpgp   針葉樹の森の森の中を通ったり。

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P1080904jpgp  花は参考までに、最初の紫の花がヤナギラン(Epilobium angustifolium)、2枚目の花がシラネ・ブルガリス(Silene vulgaris)3枚目の黄色い花がロトゥス・アルピヌス(Lotus alpinus)、あとは調べたのですがはっきりわかりませんでした。

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こちらは、ミューレンに行く途中のヴィンターエック(Witeregg)のレストランです。ユングフラウを眺めながら食事が楽しめます。すぐ側に駅もあるので、鉄道でここまで来てもいいわけですね。ここのレストランにも他のハイキングコースのレストランにも、小さな子供が遊べるプレイスペースが設けてあります。ハイキングを楽しんで疲れたら、お茶を飲んだり食事をしたり、子供が遊んでいる間は大人はゆっくり山の風景を眺めることが出来るわけですね。この辺りの初心者用のハイキングコースはだいたい鉄道やバス路線の側を通っていて、駅ごとにレストランがあったりするので、歩きつかれたらお茶を飲んだり食事をしたり、もう歩きたくなくなったら鉄道やバスで宿まで帰る事が出来ます。
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ミューレンの村です。ここから、シントホルン展望台へのロープウエイが出ているのですが、あいにく見晴らしが悪いようなので(ロープウエイの駅に展望台の様子がLiveで映しだされているのです。)登るのはやめにしました。
 ミューレンの村は、山間の小さな可愛らしい村ですが、小さくてもホテルやレストラン、スーパーなど整っていて、滞在型の観光によさそうな村でした。ここを足がかりにして、ハイキングを楽しむのもよさそうです。



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2007年8月16日 (木曜日)

スイス旅行*ユングフラウヨッホ

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 8月9日、この日もお天気は悪く、朝から雨がぱらついていました。ユングフラウに雲がかかっています。山の上の方の白いところは雪ですが、中ほどから下にまっすぐ下がっている白い線は滝です。前日からの雨が滝になり、何本もの白い線の様に見えているのです。
P1080618jpgp  この日はとりあえず、ユングフラウ(標高4158m)のスフィンクス展望台(標高3571m)に行ってみることにしました。
 スフィンクス展望台へは、グリンデルワルト駅(標高1034m)からWAB(ヴェンゲルンアルプ鉄道)で、まずクライネ・シャイデック駅(Kleine Sheidegg標高2061m)へ(約34分)。ここからさらに、JB(ユングフラウ鉄道)でヨーロッパで一番高い鉄道駅ユングフラウヨッホ駅(Jungfraujoch Top of Europe標高3454m)に行きます(約50分)。スフィンクス展望台へは、ここから高速エレベーターにのって約120m登ります。グリンデルワルトからユングフラウヨッホの切符はパスの割引が利いて、大人一人106.50スイスフランを2枚買いました。
 ユングフラウ地区には「ユングフラウ鉄道パス」もあり、好きな日から連続した6日間ユングフラウ鉄道グループの全線(アイガーグレッチャー~ユングフラウヨッホの50%割引区間は除く)が乗り放題になるそうです。ユングフラウ地区をゆっくりまわりたい人にはお得ですね。
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 左の写真は、グリンデルワルト近辺です。雨が降っています。
 鉄道はいったんGrund駅まで下り、スイッチバックをして山をゆっくり登り始めます。

P1090013jpgp  勾配が急になってくると、線路がアプト式に切り替わります。上の写真がアプト式のレールです。普通の線路の真ん中に、歯があるレールが見えますね。この歯があるレールが動力車に取り付けた歯車とかみ合って急勾配の坂を滑らずに鉄道を走らせるのです。アプト式鉄道(Abt-system railway)は、スイス人アプト(1850~1933年)が発明した特殊な鉄道です。

P1080641jpgp   クライネ・シャイデック駅。雪が積もっていました。ここで、昼食を取ることにしました。
ここにもたくさんの日本人が訪れるためか、何故かレストランのメニューに日本のうどんがありました(10スイスフラン)。下の息子が喜んで注文していました。関西風の味付けでなかなか美味しかったようです。






P1080637jpgp   こちらは、スイスの定番料理ラクレット(Raclette)。寒い時はあつあつのチーズとジャガイモが美味しいです。

P1080644jpgp  雪の中をユングフラウヨッホ駅へ向かいます。鉄道は途中でトンネルの中に入ります。クライネ・シャイデックからユングフラウヨッホへは、約50分かかります。途中のアイガーヴァント駅(Eigerwand標高2865m)とアイスメーア駅(Eismeer標高3160m)では3分ほど停車し、岩盤をくり抜いた窓からアイガーの岸壁や氷河が見られるそうですが、この日は吹雪いていたのでほとんど何も見えませんでした。

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 ユングフラウヨッホから外に出たところです。
この日のグリンデルワルトの気温は8℃でした。
クライネ・シャイデックは5~6℃だったようですが、アイガーヴァントでは4℃、アイスメーアで3℃とどんどん気温は下がり、クライネ・シャイデックやスフィンクス展望台では氷点下だったようです。
 外は雪なのですが、駅やレストラン、お土産屋さんや休憩所などは暖房が効いていて暖かでした。
 日本人や中国人、韓国人が多く訪れるためが、激辛ラーメンのカップヌードルが売られていました。

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 ユングフラウ饅頭ならぬ、ユングフラウチョコレートです。

P1080727jpgp  山を下って行きます。だんだん雪の面が減ってきて、緑が顔を出してきます。

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P1080743jpgp  グリンデルワルトまで降りると、雪が降っていた山が嘘だったような、穏やかな草原の風景になります。
 

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2007年8月15日 (水曜日)

スイス旅行*パリ-グリンデルワルト

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 8月8日から8月12日まで、我が家(私、夫、15歳と12歳の息子二人)は、スイスのグリンデルワルトとツェルマットに4泊5日の旅行をしてきました。(グリンデルワルト3泊、ツェルマット1泊)使った交通機関は、TGVとスイス鉄道です。
スイスには、スイストラベルシステム(STS)の観光用のお得なパスが各種あります。こちらは、鉄道、バス、湖船が利用でき、山岳交通、博物館の入館料、レンタサイクルなどなどの割引特典つき。旅行するグループの人数や、家族や旅行日数によって、お得なパスを選べます。
 我が家が使ったのはスイス・ファミリー・カード(Swiss Family Card)。こちらは、同行している両親のどちらかがパスを所有していれば、同伴の子供(6~15歳)の普通料金は無料になるという子供連れにはありがたいシステム。ちなみに、私達夫婦が使ったパスは、スイス・セーバー・フレキシー・パス(Swiss Saver Flexi Pass)です。こちらは、スイス国内の主要な列車、ポストバス、湖船、所要都市の交通が1ヶ月の有効期間中の任意の3・4・5・6・8日間何回でも利用でき、登山鉄道などの山岳交通が50%割引に、スイス国内のミュージーアムが無料になるスイス・フレキシー・パス(Swiss Flexi Pass)が、2人以上が一緒に旅行するとさらに15%OFFになるもの。私達は、5日間有効、2等(1等か2等かを選べます)を買いました。スイスは、グループや家族で旅行するとお得ということですね。

 冒頭の写真は、8月8日朝のパリ・リヨン駅。ここから7時44分発のTGVに乗ってまずスイスのローザンヌへ。ローザンヌまでの所要時間は3時間35分。
 リヨン駅からは、パリ~リヨン間をメインにブルゴーニュ、ローヌ・アルプ、スイス方面と結ぶ南東線が出ています。南東線は2001年にさらに南仏まで延長し、パリ~マルセイユ間を3時間で結ぶ「地中海線」として開通しました。
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 こちらは、パリ・リヨン駅のレストラン、ル・トラン・ブルー-Le Train Blueの前のカフェ。ル・トラン・ブルーはベル・エポックの時代を感じさせる古く由緒のあるレストランらしいですが、このカフェは、待時間に気軽に入れるカフェです。
 朝が早かったので、我が家はここで朝食を取りました。椰子の木があるのは、南仏方面につながる路線だからかな。フランスでは椰子がいろいろなモニュメントに使われています。最初のころは意外だったけれど、フランス中央部から南にかけて椰子は結構普通に生えているそうです。

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TGV車内です。改札口というのはありません。鉄道に乗ってから検札があります。ここでちょっとしたハプニングが。
 15歳の息子も子供料金だと勘違いしていたので(子供料金は12歳以下)、追加料金を払ったのだけれど、それが95ユーロ!(大人料金で56ユーロです)どうして!?と思ったら、夫が言うには、「フランスでは、鉄道に乗る前に切符を買うのが原則なんだよ。乗ってからだと、ペナルティーを取られるの。」のだそうだ。(帰りは、乗る前に窓口で追加料金を払ったので24ユーロで済みました。)

P1080575jpgp  TGVが11時37分定刻通りローザンヌ(Lausnne)に着くと、在来線に乗り換えてモントルー(Montreux)へ。モントルーからスイス四大鉄道のひとつ、ゴールデン・パスに乗ります。
 ゴールデン・パスはレマン湖畔から、スイスの山の中を通る路線で、天井が一部ガラス張りになった車両から次々に現れる美しいスイスの風景が楽しめるはず・・・だったのですが、この日は一日中雨。左の写真はレマン湖。晴れていなかったのが残念でした。

P1080584jpgp  レマン湖畔沿いのブドウ畑。スイスを鉄道で旅行していると、山の斜面にブドウ畑が作られているのをよく見かけます。スイスの地形はワインに適した美味しいブドウを実らせるそうですが、湖畔沿いの丘陵地で栽培されるブドウは、湖面から反射する陽光に育まれて、上質なブドウを実らせるそうです。
モントルーからツヴァイジンメン(Zweisimmem)を走るMOB(モントルー・ベルナー・オーバーランド鉄道)は、ブドウ畑の中を通ります。アルヴ川、ローヌ川に沿った一帯はワイン造りが盛んで、スイスで3番目の生産量を誇っているそうです。

P1080587jpgp  約1時間45分後、ツヴァイジンメン駅着。ツヴァイジンメンでBLS(ベルン・レッチュベルグ・シンプロン鉄道)に乗り換えます。ユングフラウ地方への玄関口、インターラーケン・オスト駅までは、約1時間。インターラーケン・オストからZB(ツェントラル・バーン)に乗り換えると約2時間でルツェルンへ行きます。我が家は、インターラーケン・オスト駅からBOB(ベルナー・オーバーランド鉄道)に乗り換えて、グリンデルワルト(Grindelwald)に向かいました。

P1090042jpgp  グリンデルワルト駅に着いたのは、17時24分。(インターラーケン・オストから約34分)
写真は後日撮ったものです。この日は一日中雨でした。
 グリンデルワルトもツェルマットも日本人に人気のある街で、グリンデルワルトには日本語観光案内所もあり、日本人が安心して泊まれる街です。
 そのため日本人旅行者がとても多く、パリやブローニュよりも日本人を多く見ることになりました。
若い人のグループから、カップル、小さいお子さん連れの家族、団体旅行、ほんと日本人が多かったです。

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 こちらは、泊まったホテル・グレッチャーガルテン(Hotel Gletschergarten)。山小屋風の可愛らしいホテルで、内装もアンティックのものを置いてありくつろげる雰囲気でした。








P1080594jpgp  夕食はホテルのレストランで。この日のメニューは、ホワイトブロッコリーのスープに、Gigot Roti(子羊のモモ肉のロースト)、アイスクリームのデザートでした。

P1080591jpgp  スイスに来たらスイスワイン。スイスはワインの品質を保つために生産量を制限しているそうです。それに、国内のワイン消費量が生産量を上回っているために、スイスワインが国外に出荷されることはほとんどないとか。
 この日飲んだのは、ピノ・ノワール(Pinot noir)。






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 夕暮れの、ユングフラウを眺めながらの夕食でした。
 




 

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2007年8月13日 (月曜日)

スイス旅行

halさん、TOMさん、スイスから戻りました~!スイスはやっぱりいいです。
パリからTGVに乗り、スイストラベルシステム(STS)のスイス・ファミリー・カード(Swiss Family Card)でスイス鉄道を乗りまくった我が家(夫は鉄道オタクです。)。何故か、スイスに行くというのに「ビー・クワ」(カブトムシ・クワガタの専門誌です)を持参し、車中、「クワガタの本なんか読まずに、山でもよく見てろ!」と夫に言われ続けた息子と、受験生の息子を連れて行ってきました。
 さて、今日はツェルマットから見たマッターホルン3景。朝の6時から7時過ぎまでの山の色の変化をどうぞ。

 早朝、マッターホルンに雲がかからず綺麗に見えているのを見て、眠気もふっとびました。
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 だんだん太陽が昇り、山がオレンジ色に。
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 さらに陽が昇ると、麓の緑の色がはっきりしてきます。

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2007年7月15日 (日曜日)

Le 14 juillet-革命記念日

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 今日は、革命記念日です。ああ、そうか、せっかくパリにいるんだもの・・・と、知人宅に行く途中、Fさん親子と待ち合わせして、凱旋門を見てから行くことにしました。中3の息子を連れて行こうかな~と思っていたら、「明日テストだ。」そうだ。頑張れ受験生・・・。
 7月というのに、雨模様で上着が必要な日が続いていたのですが、今日は晴れて暑い一日でした。フランス語の先生、マダム・Oは、、
「7月14日は絶対晴れるのよ。」と確信を持って仰る。そういうもんですか~。
「パレードを見に行くの?私は、家でテレビを見るの。テレビで見た方がよく見れるわよ。すごい人出になるわよ。」とのこと。
 さて、下の息子を連れて、いざ、Charles-De-Gaule-Etoileへ。ブローニュの我が家からは、メトロ9号線を使って、Franklin D.Roosevertで1号線に乗り換えればいいかな・・・と思っていたら、Franklin D.Roosevert駅は封鎖されていました。仕方ないので、次の駅で降りて、Trocaderaまでもどり、6号線に乗り換えて、Charles-De-Gaule-Etoileに行けたのだけれど、最初からこちらにしておけばよかった。待ち合わせ時間に随分遅れてしまった。
 そう言えば、地下鉄に乗るときになんかアナウンスしていたっけ・・・。
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 ともあれ、凱旋門の前にずらっと並ぶ戦車を見てきました。今年は、ヨーロッパ各国から軍隊を呼んだのだとか。
 首都の目抜き通りを戦車が並んでいたり、上空を軍用ヘリコプターが編隊を作って飛んで行く様は、確かに日本だと見られない光景だろうな。
 戦車の兵隊さんは、意外と気さくで、記念写真に一緒に写ってくれたりしました。

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2007年7月12日 (木曜日)

画家たちの村・バルビゾン

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バルビゾン派の画家たちが住んだ村、バルビゾン-Barbizon-へは、パリから車で約70分。国鉄を使うなら、パリ・リヨン駅からSouppes Chateau-Landon(スープ・シャトーランドン)行きなどで約40分、Fontainebleau-Avon(フォンテーヌブロー・アヴォン)駅下車。そこから、タクシーで約10分。フォンテーヌブロー宮殿からは車で約15分。バルビゾンはフォンテーヌブローの森のすぐ側です。
 

 先週、上の息子(中3)が学校の遠足でバルビゾンに行った事を聞いた夫。「自分も行ってみたい!」と、この前の日曜日に下の息子(小6)を連れて3人でバルビゾンに行ってきました。(上の息子は受験生なので、塾で勉強。)ブローニュの我が家からは、車で1時間ほどです。お昼過ぎから行っても、昼の長いこの時期、ゆっくりと見て回る事が出来ました。
 上の写真は、「Musee Rousseau-ルソーの家」。画家テオドール・ルソーが住み亡くなった家で、現在は観光案内所になっています。隣りは教会になっています。
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 こちらは、ルソーの家のある、Grande Rue-グランド通り。メインストリートになっています。端から端まで、ぷらぷら~っと歩いて、30分くらいですが、この通り沿いにはミレーの家や、他の画家や彫刻家の家が何軒か並んでいます。







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 ミレーが住み亡くなった家。「Maison et Atelier de Jean Francois Millet-ミレー記念館」になっています。残念ながら、この日は閉館していて中に入れませんでした。








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 ミレーの家の横の道から、庭が見えました。






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 ミレーの家の横の道を散歩していると、雌のミヤマクワガタも散歩していました。彼女と出逢った下の息子は大喜び。ミヤマクワガタは迷惑?
 今の時期なら、交尾を済ませているかも知れないのと息子が言うので、我が家に滞在してもらうことにしました。
大事に飼うからね・・・。
 フォンテーヌブローの森に近いせいでしょうか。ミヤマクワガタが飛んでくるのでしょうね。




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 こちらは、やはりGrande Rueにある、「Musee Ganne-ガンヌ爺さんの家」。下宿屋の様なものだったらしく、当時の部屋の様子や台所用品、画家達が実際に泊まった部屋などが見られます。また、ミレーやルソーなどの絵画も展示してありますが、興味深かったのは、家具や壁に描かれた絵。
 下宿代の払えない画家達が、宿代替わりに描いたものだそうです。
 バルビゾンには、小さなホテルもあって、こんな村でゆっくり泊まって、フォンテーヌブローの森に散歩行くのもなかなか良いだろうな、と思いました。
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 バルビゾン村の入り口には、こんな看板があります。
 看板の脇には、麦畑が広がっていました。
 今年のフランスは7月だというのに、上着の必要な寒い日が続いています。空の色もなんだか、どんよりとしていました。でも、美術館で見た風景画の空の色を思い出しました。


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2007年7月 4日 (水曜日)

ヴェネツィアの小路と緑

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-複雑な網の目のように通っている運河でも、曲がり曲がりしていくと、必ず大運河か海のどちらかへ抜け出られるように、ヴェネツィアでは足で行くにも抜け道が必ずあって、袋小路というものは存在しないのである。-
(「海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年」塩野七生 著 より)

 「とにかくヴェネツィアの街を歩き回りたい。」という上の息子の希望で、足が棒のようになるまで歩き回った我が家。小路を行くと行き止まりかと思うような場所に出たりしますが、そこから必ずどこかへ行く小路があるのです。
 上の写真はまるで袋小路のように見えますが、脇に抜ける小路があります。どん詰まりのようになっている上の方のわずかな空間に、ささやかな緑が置かれています。

P1050444jpgp  小路は建物の壁でぴったりと両脇を囲まれているので、下を見て歩いているとまるで石のトンネルの中を歩いているような錯覚を覚える時があります。人一人がやっと通れるような細い小路もあります。トンネルのような小路を抜けると、広場(カンポ)か、小広場(カンピエッロ)か空地(コルテ)に出て、空間と明るさにほっとします。
 広場には大抵教会があり、市場が開かれたり人が集まったりする場所であったそうです。そして、広場は必ず運河に面していたそうです。小広場や空地と呼ばれる場所は、ひしめきあって建っている建物に風や光を通す役割があったそうです。また、子供達が遊んだり、人々がおしゃべりを楽しんだりもできたのでしょう。

 
P1000963jpgp_1  ヴェニツィアは上空から見ると、緑が点々と散らばって見えるそうです。水の上に街を造って限られた土地を最大限に利用してきたヴェネツィア人達。小さな場所を見つけて、草木を植え、花を咲かせ、今も昔も自然を感じ楽しんできたのでしょう。

P1050438jpgp  小広場の隅で開かれていたお店。

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 お菓子屋さんのショウウインドウ。チョコレートのはさみは大きくて食べでがありそう・・・。

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 小路を歩くと、壁のあちこちにマリア様やイエス様や聖人が祭られているのを見ます。庶民の小さな願いや、商用で旅に出ている家人の安全を願ったものなのでしょうか。ここにも、花が飾られています。

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 こちらは、ムラーノ島のガラス細工屋さんの庭。この井戸はもう使われなくなったのでしょう。花に囲まれています。

参考:「海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年」塩野七生 著 中公文庫 

 

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2007年7月 2日 (月曜日)

ヴェネツィアでゴンドラに乗る

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-私には、タクシー用ゴンドラの漕ぎ手たちを調べていて、江戸時代の火消しが思い出されてならなかった。狭く浅い運河を漕ぐのは相当の技術と熟練を要するから、自然、ゴンドラの漕ぎ手(ゴンドリエレ)たちは自分達の仕事に誇りを持つ。また、気風の良さでも似ているし、国の祝事とか賓客の歓待となると彼らが駆り出され、船の上で人間のピラミッドを作ったりするのも、出初式と似ていないこともない。火消しを江戸の華と言うなら、ゴンドリエレも、かつてのヴェネツィアでは、ヴェネツィアの華と言えたのではないかと思うのだ。-
(「イタリア遺聞」 塩野七生 著より
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「とにかくヴェネツィアの街を一日中歩き回りたい!」という上の息子の希望で、ヴェネツィアを歩き回る我が家。しかし、いくらなんでも、歩き回りっぱなしでは疲れる。
「ゴンドラから、街を見るのも歩いているのと視点が変わっていいよ~。」と、不満げな息子を言いくるめて、ゴンドラに乗ることにしました。

 ドゥカーレ宮殿の前の船着場には、客待ちををしてるゴンドラがずらり。ゴンドラの漕ぎ手(ゴンドリエレ)は、だからと言って客引きをするわけではなく、のんびりとお客を待っている。商売する気があるのかしらと思っていると、夫は一人のゴンドリエレと交渉を始めた。

「家族4人、1時間でいくら?」
「4人を乗せて、観光名所をまわり、説明つき、歌つきで150ユーロでどうです?」
150ユーロ?これを円に換算すると・・・・。
「もうちょっと安くならない?」
「そりゃ、無理でさぁ。」
じゃ、よしましょ、と言って、立ち去りかけると、ゴンドリエレが追いかけて来た。
「50分で、100ユーロにしますよ!どうです?」
まあ、100ユーロなら・・・と、この、ゴンドリエレに頼むことにしました。
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 う~む、50分100ユーロで、一日5人でも乗せると500ユーロ。結構いい商売かも。のんびりと客待ちしているわけがわかるような・・・・。
 ヴェネツィアは、11世紀の昔から西欧では有数の観光国であったそうです。
18世紀には、、ゲーテなどの社会的にも経済的にも知的にも恵まれたエリート達が訪れたそうですが、そのころから、ゴンドラに乗ることは決して安くはなかったとか・・・・。

P1000887jpgp_1  ゴンドラは、ハリア橋の下をくぐり、「溜息の橋」を通ると、すいすいと狭い水路に入って行きます。水路には、他のゴンドラや水上タクシーなども行き交っていますが、ぶつかることなく滑るように進みます。
 歴史あるヴェネツィアの街を行く黒いゴンドラは、本当に絵になる光景ですが、栄えていたころのかつてのヴェネツィアのゴンコラは黒一色ではなかったそうです。

P1000879jpgp  ゴンドラを黒一色にするようにとヴェネツィア共和国政府から法令が出たのは、1633年のこと。それ以前のゴンドラは、現在の観光用ゴンコラとは形も多少違い、また「フェルセ」と呼ばれる小さな船室もあったそうです。
 この小船のようなゴンドラを当時の人々は、好みの色に塗り、中には金色に塗られたものもあったとか。そしてフェルセの中は、高価な布で張られ豪華な椅子やクッションを置いたものもあったそうです。
P1000921jpgp  また、ゴンコラの漕ぎ手にも豪華な衣装を着せていたそうす。このような華やかなゴンコラが行き交う当時の運河や水路は、花が咲いたようだったことでしょう。共和国政府が法令を出したのは、あまりの贅沢さを取り締まることにあったようですが、このころからヴェネツィアの経済力も衰えを見せ始め、豪華なゴンドラを維持出来なくなっていったという事情もあったようです。
 しかし、黒一色になったゴンドラも、ヴェネツィアの風景の中で古の美しさを感じさせたのではないでしょうか。
 さて、このような経緯で黒一色になったゴンドラですが、形は現在のものより少し太めで、フェルセが付いていることが一般的だったようです。漕ぎ手も現在のように一人ではなく、前と後ろで二人で漕いでいたので速度も速かった
P1050523jpgp ようです。
 考えてみれば、当時のゴンドラは人々の足。速度もある程度なくては用をなさないし、現在の水上タクシーも屋根があるのですから、小さな船室もあって当たり前ですね。
 今ヴェネツィアで見るゴンドラは、観光用としてのんびり楽しむものなんですね。
 

P1000941jpgp  ゴンドラに乗ると、水上バスや水上タクシーより海面が近くなります。この位置からヴェネツィアをながめるのもなかなかいいものです。

写真1枚目:カナル・グランデからリアルト橋を見る
   2枚目:ドゥカーレ宮殿前
   3枚目:ゴンドリエレ、後ろは「溜息の橋」
   4枚目:水路を行くゴンドラ
   5枚目:高級ホテルの送迎用の船
   6枚目:ゴンドラから見た水路
   7枚目:水上タクシー
   8枚目:ゴンドラからサルーテ教会を見る

参考:「海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年」 塩野七生 著 
    中公文庫
    「イタリア遺聞」 塩野七生 著 新潮文庫
    
    
 

  

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2007年6月30日 (土曜日)

ヴェネツィアの水上交通

 halさん、miyomamaさん、コメントありがとうございます。(まだ、どうしてか、私からブログへのコメントができないです・・・)熱帯雨林の散策、羨ましいです。
 TOMさん、とにかく歩き回りたい息子には、私の荷物を持たせました。手ぶらで歩く息子について、結構重いいろいろなものが入っているリュックを持って歩くなんて、とても出来ない・・・

「ラグーナ・ヴィーヴァ-生きている潟(ラグーナ)」は、この沼沢地帯に住みつこうとするかぎり、ヴェネツィア人にとっては死活の問題であった。
 (「海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年」 塩野七生 著 より)

P1050322jpgp_1  旅程の2日目夕方、ヴェネツィアの空の窓口、マルコ・ポーロ空港に着きました。ここから、ヴェネツィア本島へと渡りますが・・・
 インフォメーションのおねえさんに、まずは水上タクシーの乗り場と値段を聞きました。ヴェネツィア本島に、水上タクシーで渡るなんてなんて優雅・・・荷物もあるし・・・と思っていると、
「4人で、100ユーロです。」
1ユーロ、日本円で160円から170円といったところなので、日本円に換算すると・・・。結局、水上タクシーは諦めて、陸上バスでサンタ・ルチア駅に行き、そこから水上バス(ヴァポレット)に乗って、泊まるホテルの近くまで行くことにしまし  P1050326jpgp た。

 1枚目の写真は、水上バス乗り場。観光客ももちろん乗るけれど、やはり市民の足。すぐ向かいに生協スーパーがあるので、そこの買い物袋を持って乗る人や、通勤の帰りらしい人もいたりして、生活を感じました。
 我が家は、3日券(25ユーロ)を買いました。水上バスを使ってあちこち行けるしね。荷物を持っていると、荷物の料金も別に払うのね。船なんだから、重量が増えると料金を払うのは当たり前か・・・。
 2枚目は、サンタ・ルチア駅の駅舎の前を行く水上バス。パリから夜行列車をP1050350jpgp 使ってこのサンタ・ルチア駅に来ることも出来ます。時間があったら、夜行列車も乗ってみたいものです。

 さて、ヴェネツィアといったら運河。運河を行く船やゴンドラの風景は美しい絵のようですね。しかし、意外なことに、ヴェネツィアの運河は、船を通すためではなく、水を通すためにつくられたものであったそうです。
 もともと、干潟と干潟の間、島と島との間は水が流れていたので、その流れに逆らわずに住むための土台を作ったら、運河が出来ていた、というところでしょうか。

 小さな水路などは、潟や島にもともとあったものもあるそうですが、水の力を逃すために新しく作っていったものだそうです。潟には、潮の満ち干や、陸からの川の流れがあり、水の力は作った土地に規則的に、また、雨や風により不規則にかかってくる。無理にせき止めてしまえば、洪水などの災害をもたらすけれど、それを上手に逃し、注意深く管理することによって、便利な運河や水路になっていったのでしょう。

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運河で物を運ぶ船と、水上パトロール。
婦警(?)さんが乗っていたのが印象的ぢした。パトカーみたいなものでしょうか。

 
こちらは、狭い水路の標識あれこれ。

一方通行ーと侵入禁止
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バックミラーと信号。

今でも、運河や水路は、人の生活の中で生きているんですね。

参考:「海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年」塩野七生 著 中公文庫

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2007年6月27日 (水曜日)

ヴェネツィアの井戸(ポッツォ)

TOMさん、ローマの椰子のコメントありがとうございます。ど~も、私の方からコメント欄に書き込みが出来なくて・・・・。Webサイトで拒否してるそうですが、どういうことかいな・・・
椰子の写真で、引き伸ばせそうなのを探してみます。

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前と結婚する、海よ。永遠におまえがわたしのものであるように-
(「海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年」 塩野七生 著 より)

 3泊4日でイタリアに旅行しましたが、1泊はローマで、後の2泊はベネチアに滞在しました。上の息子に、「ベネチアで何がしたい?」と聞くと、「とにかく街を歩き回りたい。」と言うので、家族4人でひたすら、ベネチアの街を歩き回りました。
 ベネチアはロマンチックな水の都として有名ですね。でも、もともとは葦に覆われた潟(ラグーナ)に杭を打ち、土台を作り、その上に街を築き、地中海の交易都市として栄えた海とともに生きた都市。絶え間ない人の努力と工夫で栄えて来た都市なんですね。潟(ラグーナ)の上に都市を築くことは、潮の満ち干や潮流を知り尽くし利用し管理することだったのでしょう。ゴンドラに乗りながら行く水路は美しい眺めを見せてくれますが、これも人の努力の積み重ねだと思うと感慨もひとしおと言ったところかな。

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 こちらは、ドゥカーレ宮殿の中庭の井戸。ベネチアの街を歩くと、広場(カンポ)、小広場(カンピエッロ)、空地(コルテ)に必ずと言っていいほどこういった井戸に出くわします。
 街に人が住むためには、真水の供給が必要ですね。海上都市のベネチアでは、どのようにして水を確保したのでしょう。

 ベネチアの井戸は、日本などで見かける井戸とは構造が違うそうです。日本などでは、井戸を作る時、地面を掘り下げ穴を掘り、地下水をくみ上げますね。しかし、ベネチアは潟の上に杭を打ち、土台を作った土地なので、地下水をくみ上げることは、地盤沈下につながるのでご法度だったそうです。 
 しかし、人が生きるためには生水が必要。そこで考えだされたのが、この、雨水を溜める貯水槽型井戸です。
 まず広場いっぱいに正方形に掘り下げ、プールを作ります。プールは粘土層で固められ、しみ込む海水からガードされます。そしてプールの内側に浄化のための砂を埋めます。
 真ん中に石の井戸があるでしょう。その周りの大きな正方形と放射状の白いラインがわかりますか?中庭や広場では、真ん中の井戸が少し高くなっていて、この正方形と放射状のラインに近づくにしたがって、ゆるく傾斜しています。これは、雨水がこちらに流れるようになっています。雨水は四隅に設けられた取り入れ口から貯水槽にしみ込み、砂によって浄化され、中央部に貯まります。

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 二つとも街を歩いていて見つけた井戸。どこでも構造は同じなのだとわかります。ベネチア街を歩いていると地面をみることはまずありません。ときどき大きなお屋敷の庭に植物が植えてあるのを見かけるくらい。通路には溝がほってあるので、雨水はこうやってあますところなく溜められ、利用されたのでしょう。

P1050478jpgp_2 こちらは、ムラーノ島で見た井戸です。ムラーノ島は「ガラス工芸の島」として有名ですね。ガラス製品製造は、素材を釜の中で溶かすために、高い温度の火を使いますね。ことことが、何度も火事の原因を作ったので、街の外のムラーノ島にガラス職人の島が出来たそうです。

 この井戸は、緑と花に囲まれていますね。

参考:「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年」 塩野七生 著 中公文庫

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2007年6月26日 (火曜日)

ローマの椰子

 TOMさん、tomokoさん、まゆりさん、sachihoさん、コメントありがとうございます。本当は、コメント欄にお返事するものなんでしょうが、なぜか、私のコメントがはじかれてしまって・・・。
tomokoさん、雌性先熟という言葉、憶えました。(わからなくて、植物用語辞典をみました。)ありがとうございました。
まだ、使い方がいまいちよく分かっていないブログ初心者ですので、よろしくお願いします。

P1050237jpgp  TOMさんとtomokoさんにいらしていただいたてうれしいです。こちらは、このブログを始めるきっかけになったローマで見た椰子の写真です。
 今年の5月の連休にイタリアのローマとベネチアに旅行しました。パリは美術館の中に街があるという印象を受けるのですが、ローマは遺跡の中に街があるという印象を私は受けました。
 ローマに着いてまず目を惹かれるのが街路樹や木々で(私だけか)、生えている様子がイタリア絵画の背景そのものなんだな~と思いました。ちなみにヴェルサイユ辺りの森の様子をみると、やはりフランスの画家の描く風景そのものなのだから、当たり前といえば当たり前ですけど・・・

 街を歩いていて、ちょっとびっくりしたのが、椰子があったことです。不勉強で、ヨーロッパにも椰子が生えることを知らなかったのです。やはりローマはパリより暖かいのでしょうね。パリでは室内の観葉植物のベンジャミンが、ローマでは屋外に置かれていてかなり大きく育っていましたので、

 それで、「これは一体何椰子?」って誰かに聞きたかったんです。
 花序は真ん中辺に見えるオレンジので、幹は、ボタニックガーデンでみたphoenixみたいかな・・・。ちょっとうろ覚えで・・・

P1050228jpgp フランスに戻ってから、フランス語の先生のマダム・Oに、
「ローマで椰子を見たんですけど・・・」と言ったら、
「ほほ・・・、そりゃあるわよ。南仏にも椰子は生えているのよ。ココ椰子でしょ。」とおっしゃるのですが、ココ椰子ではないような・・・。
 ちなみにココナッツは、パリでも八百屋さんで売っていますが、ベネチアの市場のフルーツ屋さんでは、割って冷やしたものが売っていて、子供達が懐かしがって買って食べていました。

 右は、街角で見つけたレリーフです。レリーフの中に、椰子を見つけたので、昔から椰子はこの土地に自然に生えていたのだろうと思いました。

P1050279jpgp P1050464jpgp P1050436jpgp

 こちらの写真のレリーフの植物は、多分イチジクだろうと思います。ベネチアのお屋敷のお庭に、イチジクが生えているのを見て、イチジクなんだろうな・・・と思いました。
 イチジクって、旧約聖書のアダムとイヴのお話に出てくるけれど、こういうレリーフに使われるのには何か意味があるんだろうか、それとも、身近な植物だったのだろうか・・・。
(レリーフは左はローマの街角でみたものですが、右はベネチアのムラノ島で見たものです。)
 
 他にも、レリーフに使ってある植物が、そこら辺の公園に生えていたりして、名前がわからないのが残念でした。

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2007年6月12日 (火曜日)

詩人の庭園

P1060140  メトロ10号線ポルト・ドートゥイユ近く(バスは241,123,
52、32)に、この「詩人の公園」(Jardin des poetes)はあります。オートゥイユ温室庭園に隣接する、小さな公園で、この一角に児童公園もあります。

 「詩人の公園って何?」
中に入ると、小道の脇や木の下に、彫像や花に囲まれた石の碑があちこちに置いてあります。それぞれに、詩人の生没年と、詩などが短く印してあります。

 左の像は、ロシアの詩人、プーシキンの像。葉陰にさわやかな感じで立っていました。何故ここにプーシキンなんだろう。不勉強でよく分からないのですが・・・

P1060153
こちらは、ビクトル・ユーゴー。プラタナスの老木の薄暗い陰になり、なにやら深刻そうな顔をしています。

P1060162 こちらは、ピエール・コルネイユ。黄色い花に囲まれているのは、何か意味あるのかな。

 他にも、ランボーやラ・フォンテーヌの碑が素っ気なく、モミの木の根元に置いてあったり、こういうイメージなのかな、それとも大して意味はないのかな?もう少し、フランス語が読めるとよく分かるのかな・・・などど、考えながら公園をゆっくり巡るのもまた楽しいものです。

 お気に入りの詩人を見つけることもできるかもしれません。

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2007年6月 9日 (土曜日)

パリ市庁舎の前の巨大じょうろ

P1050741_4  パリ市庁舎の前に何故か巨大な赤いじょうろが・・・。これは、庭の展示会です。
 先週、フランス語のO先生が、「オテル・ド・ビル(パリ市庁舎)に行ってごらんなさい。花をたくさん見れるわよ。」と、教えてくれました。
それで、先週の土曜日に、早速行ってきました。
今、パリはこういった庭や花の展示会のシーズンだそうで、あちこちでこういった催しをするそうです。(チュイリュリー公園でも赤いじょうろを置いて同じような展示会をやっていたらしいのですが、今週行って見たら、そちらの方はもう片付けていました。)
 
「オテル・ド・ビルのメトロの出口を出たら、すぐわかるわよ。」
どこでやってるんですか?と聞いたら、これが先生のお答え。
なるほど、こんな大きいじょうろが置いてあれば、すぐわかります!じょうろの前では、記念撮影をする人が入れ替わり立ち代り。もちろん、我が家も記念撮影してきました。

P1050749p_2 お庭にいろいろな昆虫のデザインの置物を置いてあるの。これは、息子が一番喜んだかな。お子さんの記念写真を撮ってる人もいました。

P1050771p

庭の中の巨大なじょうろ。水が絶えず流れています。こんなじょうろがあれば、水遣りの手間がいらない?

P1050772p

大きな緑の椅子。よじ登らなきゃ座れないね。

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2007年6月 7日 (木曜日)

ブローニュの森の湖

P1050996p_2  ブローニュの森の湖に行ってきました。ブローニュの森には、隣り合った、スーペリユール湖とアンフェリユール湖二つがあります。
 いつもは、ポルト・ド・ブローニュ(ブローニュの入り口)のバス停で降りて、スーペリユール湖の周りを歩くのだけれど、今回は、ポルト・ド・オートィユでバスを降りて、オートゥイユ競馬場の横をとことこ歩いて、アンフェリユール湖に行ってきました。
 アンフェリユール湖は、中に島があって、そこにしゃれたレストランがあります。
レストランにはいかだのようなボードで渡って行くのね。
この季節は夜の10時ごろまで明るいので、夕食を楽しむのもいいかもね。

 今、調度全仏オープン開催中なのね。バスで、ローラン・ギャロス・スタジアムを通ったけれど、人で賑わっていました。

P1060005p_3  帰りは、ポルト・ド・ドーフインまで出て、メトロ2号線に乗りました。
 右は、ポルト・ド・ドーフィンの地上出口のひとつ。アール・ヌーボー調なんだそうです。

 今回は、だいたい5kmぐらい歩いたのですが、森の散歩コースの全長は30kmもあるそうです。

 ハイキングコースとサイクリングコースは14km、乗馬コースが28kmだそうです。
乗馬コースっていうのが、なんともフランスらしいなあ・・・。

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2007年6月 5日 (火曜日)

ブローニュの森

今年の1月にフランスに来てから半年がたちました。
赤道直下の熱帯の国からパリ近郊へ。最初は環境や気候の変化(なにせ、常夏の国から冬のヨーロッパへの移動は大変でした~)にびっくりました。最近はだいぶ慣れてきましたが、まだ、見るもの聞くもの珍しくてたまらないです。

P1050901jpgt_2ところで、 私の住んでいるところは、ブローニュの森の近くです。
時々ブローニュの森に出掛けますが、とにかく広い!
総面積846ヘクタールの森の中に、城館あり、湖あり、競馬場、博物館、温室庭園etc・・・があります。
大都会パリのすぐ脇に、こんな広大な森が広がっているのって、ちょっと不思議な感じです。

P1040972 森の中には、自然の感じを残した小道もたくさんあります。
歩いてると、ジョギングする人や、犬を散歩させる人に出会います。
犬は大抵鎖につながれてないで、飼い主の周りを自由に歩き回っています。

P1040968 森に小道で、仔うさぎに出会うことも。

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